
出井伸之
今から思えば、1980年代は盛田昭夫の時代だった。間違いなく盛田さんは時代の華でした。盛田さんは、89年に米コロンビア・ピクチャーズの買収(買収金額は過去最高のおよそ4800億円)をトップとして決断しました。いかに日本がバブル経済に踊っていたとはいえ、驚天動地の買収劇でした。では、一体なぜ盛田さんは、ソニーにとってまったくの未開拓地だった「映画」という世界に飛び込んだのか。

【出井伸之流】アウトプットにつなげるノート活用術
ソニーの社長・会長を務め、退任後はクオンタムリープを創業し、起業家の支援など幅広く活動していた出井伸之氏が今年6月、84歳で逝去した。かつて、まだ名門大企業とはいえない成長企業だったソニーに就職し、決してエリートの王道とはいえないキャリアを経て、なんと14人抜きで社長に抜擢、会長退任後はそれまでの地位に拘泥することなく積極的に若者を支援した。「世間の常識」にとらわれることなく、自分なりにその時々を楽しみ「生涯現役」を貫いた人生だった。出井氏はみずからの人生を振り返り、「楽しく充実した毎日を送れているのは、人生の中で、何度も『リポジション』をしてきたからだ」と語っていた。リポジションを含めて、思考を整理する際にノートやメモをどのように活用していたのか、といった点も著書『変わり続ける 人生のリポジショニング戦略』で述べていた。「お別れの会」を機にご冥福を祈りつつ、ご紹介しよう。

大企業の「肩書き」が自分の成長可能性を狭めかねない理由
ソニーの社長・会長を務め、退任後はクオンタムリープを創業し、起業家の支援など幅広く活動していた出井伸之氏が今年6月、84歳で逝去した。かつて、まだ名門大企業とはいえない成長企業だったソニーに就職し、決してエリートの王道とはいえないキャリアを経て、なんと14人抜きで社長に抜擢、会長退任後はそれまでの地位に拘泥することなく積極的に若者を支援した。「世間の常識」にとらわれることなく、自分なりにその時々を楽しみ「生涯現役」を貫いた人生だった。出井氏はみずからの人生を振り返り、「楽しく充実した毎日を送れているのは、人生の中で、何度も『リポジション』をしてきたからだ」と語っていた。企業で働く一介のサラリーマンの場合は、自由にリポジションはできないだろう…と思いがちだ。だが、出井氏は違った考え方を持っていた。「お別れの会」を機にご冥福を祈りつつ、著書『変わり続ける 人生のリポジショニング戦略』より、そのポリシーやエピソードの一部をご紹介する。

「どこで働いているのか」より「何をしているのか」が、人生の「リ・ポジション」で問われる
ソニーの社長・会長を務め、退任後はクオンタムリープを創業し、起業家の支援など幅広く活動していた出井伸之氏が今年6月、84歳で逝去した。かつて、まだ名門大企業とはいえない成長企業だったソニーに就職し、決してエリートの王道とはいえないキャリアを経て、なんと14人抜きで社長に抜擢、会長退任後はそれまでの地位に拘泥することなく積極的に若者を支援した。「世間の常識」にとらわれることなく、自分なりにその時々を楽しみ「生涯現役」を貫いた人生だった。出井氏はみずからの人生を振り返り、「楽しく充実した毎日を送れているのは、人生の中で、何度も『リポジション』をしてきたからだ」と語っていた。つまり、自分の置かれている環境を、意識的に変えてきた、というのだ。なぜそうしたのか、また、どのようにそれを実践してこられたのか。「お別れの会」を機にご冥福を祈りつつ、著書『変わり続ける 人生のリポジショニング戦略』より、そのポリシーやエピソードの一部をご紹介する。

今から思えば、1980年代は盛田昭夫の時代だった。間違いなく盛田さんは時代の華でした。盛田さんは、89年に米コロンビア・ピクチャーズの買収(買収金額は過去最高のおよそ4800億円)をトップとして決断しました。いかに日本がバブル経済に踊っていたとはいえ、驚天動地の買収劇でした。では、一体なぜ盛田さんは、ソニーにとってまったくの未開拓地だった「映画」という世界に飛び込んだのか。

デジタルの時代になると、ソニーの持っていたアドバンテージが失われてしまうかもしれない。僕は興奮して思わず、「このままだと、ソニーは隕石で滅んだ恐竜みたいになるぞ」と呻(うめ)いたことをはっきり覚えています。帰国してすぐ、社長(当時)の大賀さんにレポートを提出しました。ここには「ソニーも変化しなければ、消滅します」と書きました。

「当時、ソニーから見たら松下電器や富士通という会社は、ソニーとは比べ物にならないくらい大きな会社でした。ソニーが何となくライバルだと思っていたのは、パイオニアやビクターなどの音響機器メーカーで、まだそういう時代だったんです。僕は個人的には松下幸之助さんをとても尊敬していたから、松下電器の研究を随分としました。そこから僕が出したのは、“すべてにおいてソニーは松下電器に劣っている”という結論でした」

デジタルカメラやビデオカメラのイメージセンサー(撮像素子)として利用されていた「CCD(電荷結合素子)」を世界で初めて実用化したのは、生粋の技術者で、後にソニーの4代目の社長となった岩間和夫氏である。CCDをベースに、ソニーは1989年、8ミリビデオカメラの「ハンディカム」を売り出し、爆発的な売上を記録。そこからデジタルカメラ、CMOS(シーモス)イメージセンサーの開発、携帯電話用カメラへとつながっていった。iPhoneのカメラに入っているCMOSの源流であるCCDを、岩間氏が開発していなかったら、iPhoneは生まれなかったかもしれない。そんな岩間氏の人間的魅力を、ソニー元CEO出井伸之氏が語る。

会社員人生を左右することになる左遷。人はどうその挫折を乗り越えるのか。1995年にソニー社長に就任、2000年~05年は会長兼グループCEOを努めた出井伸之氏は、ソニーで2度の左遷を経験した後、同社初となるサラリーマン社長となった。いったいなぜ左遷され、どのように乗り越えて、社長に上り詰めたのか。

第5回
失敗がもたらす4つの「効能」
変化を選択するということは、リスクも大きくなる。当然、失敗もする。しかし、失敗は悪いことではない。自らの成功の土台にすることも可能なのだ。

第4回
リポジションを成功させるために必要な4つの要素
リポジションとは、自分が置かれている環境を、意識的に変えることだが、そのためには4つの要素が必要だという。4つの要素とは何だろうか。

第3回
就活にも使える!? 変わる勇気のない人でも劇的に変われる、シンプルな方法
変化が自身の可能性のスイッチをオンにする。しかし、大きな変化を自ら選択するのはたやすいことではない。だとしたら、何をすればいいのか。シンプルな方法がある。それは……。

第2回
人生の黄金期45歳はキャリアの大きな分岐点
リポジションとは、自分が置かれている環境を、意識的に変えること。特に40代半ばの安定期にリポジションすることは、その後の人生と可能性を大きく変える。なぜなのか?

第1回
2016年「今年こそ変わりたい人」が今日から捨てるべき4つの考え方
2016年、新しい年を迎え「今年こそ変わるぞ!」と決意を新たにした人も多いはず。どうせ変わるのなら、戦略的かつ効果的に変化をしたい。そのためにはどう考え、行動すればいいか。

第2回
日本が変わるためには、本物のエリートが必要だ『なぜ、日本では本物のエリートが育たないのか?』刊行記念特別対談【出井伸之×福原正大】(後編)
「グローバル人材になれと言われても、どんな力を身につければいいか分からない」と言った悩みをよく耳にするという、『なぜ、日本では本物のエリートが育たないのか?』の著者である福原正大氏。元ソニー会長の出井伸之氏と対談では、グローバル化について語っていただきました。

第1回
日本人は、実は日本のことを知らない『なぜ、日本では本物のエリートが育たないのか?』刊行記念特別対談【出井伸之×福原正大】(前編)
日本では優秀なのに、海外では評価されないのはなぜか?英語力やMBAを超えた「評価基準」について書き下ろした『なぜ、日本では本物のエリートが育たないのか?』(福原正大)。刊行記念として、福原氏と元ソニー会長の出井伸之氏との対談をお届けします。
