恐竜写真はイメージです Photo:PIXTA

デジタルの時代になると、ソニーの持っていたアドバンテージが失われてしまうかもしれない。僕は興奮して思わず、「このままだと、ソニーは隕石で滅んだ恐竜みたいになるぞ」と呻(うめ)いたことをはっきり覚えています。帰国してすぐ、社長(当時)の大賀さんにレポートを提出しました。ここには「ソニーも変化しなければ、消滅します」と書きました。
※『人生の経営』(出井伸之著・小学館新書)から、一部を抜粋し編集

「ソニー神話崩壊」とも書かれていた

 僕がソニーの社長になったのは、戦後50年の節目にあたる1995年でした。時代が大きく変わった年でした。

 当時、エレクトロニクス事業の売上は伸び悩み、米国でのエンタテインメント事業への投資が増大し、その償却が追いつかず、ソニーはキャッシュフローが回らない状況に陥っていました。

 かつてはソニーの独擅場だった家庭用ビデオでは、シャープの「液晶ビューカム」に市場を席巻され、マスコミには「ソニー神話崩壊」とも書きたてられていました。

 非常に厳しい状況でしたが、そもそも僕は自分が社長になるなんてこれっぽっちも思っていなかったから、「次の社長は大変だな」なんて他人事(ひとごと)のように見ていました。

 だから、青天の霹靂(へきれき)といいますか、忘れもしない1995年1月17日、大賀さんから社長室に呼ばれて、指を差されて「後継者は君だ」と言われたときも、「冗談でしょう?社長なんてできるわけありませんよ」と言って部屋を出ていってしまったほどです。本当の話です。

 僕の社長就任の発表に対する当時のメディアの報道は、「上席役員14人を飛び越えて社長就任」という点にばかり焦点が当たっていて、僕がソニーをどういう会社にしようと考えているかについては、ほとんど報じられなかったようです。

「自分は社長の器ではない」とは思っていましたが、社長になる前の頃はソニーの将来を心配していて、「世界はどこへ向かうのか」「ソニーはどうすれば生き残れるのか」を真剣に考えていた時期でもありました。

 それは1993年のある体験が余りに鮮烈だったからです。