デジタルカメラやビデオカメラのイメージセンサー(撮像素子)として利用されていた「CCD(電荷結合素子)」を世界で初めて実用化したのは、生粋の技術者で、後にソニーの4代目の社長となった岩間和夫氏である。CCDをベースに、ソニーは1989年、8ミリビデオカメラの「ハンディカム」を売り出し、爆発的な売上を記録。そこからデジタルカメラ、CMOS(シーモス)イメージセンサーの開発、携帯電話用カメラへとつながっていった。iPhoneのカメラに入っているCMOSの源流であるCCDを、岩間氏が開発していなかったら、
※『人生の経営』(出井伸之著・小学館新書)から、一部抜粋し編集
社内で“越境”し、技術者の牙城に挑む
ソニーのオーディオ事業部は技術者の牙城(がじょう)で、斜陽とはいえ、働いている技術者らは高いプライドを持っていました。そもそもソニー自体がテクノロジーにコミットしたエンジニアの会社です。
だから、オーディオ事業部長は技術系の人がなるのが伝統で、そこへ僕のような素人の、しかも文系の事業部長が初めて誕生したわけですから、社内は大騒ぎになりました。僕がソニーの社長になったときよりもインパクトは大きかったと思います。
プロフェッショナルな技術者とは、知識の点で雲泥(うんでい)の差があります。それでもなぜ、オーディオをやろうと思ったかというと、「未来はない」といわれていたこの分野に、大きな変化が訪れる予感があったからです。デジタルの波です。アナログからデジタルになると、すべてが一新されると。だから、自ら望んでの部署異動、すなわち“越境”してオーディオ事業部にやってきたのです。
「これはチャンスだ」。僕はそう思っていました。新しい技術を生み出せるタイミングで、それを直接手がけられることをとても嬉しく思いました。