1972年、26歳の時にパン屋の2階のオフィスでジャパンマクニクス(現マクニカ)を創業した神山治貴・マクニカ名誉会長。その後、マクニカは50年間で連結売上高7610億円、従業員数3900人の東証プライム上場企業に成長した。創業期の会社の例にもれず、マクニカでも当初は人材採用で非常に苦労をしたという。面接に来た人が、オフィスの粗末さを見て回れ右をして帰ってしまったこともあった。社屋の豪華さや会社のブランドで採用できないハンデを、神山氏はどう乗り越えたのだろうか?神山氏の著書『経営の本質 すべては人に始まり人に終わる』から抜粋してお届けする。(マクニカ名誉会長 神山治貴)
創業期は「個人商店」
人材採用に最も苦戦する時期
創業期に最も大変だったのは、人材と資金である。資金以上に苦労したのが、採用だった。しかし、会社は何より人である。それなしには始まらない。だから創業当初は来てくれるだけで有難く、欲しい人材に入ってもらう、などということは考えられなかった。
今でも忘れられない思い出がある。あるとき、採用に応募してきた人が、面接の時間になっても現れなかった。おかしいな、と思って電話を入れてみると、会社までは来たが、オフィスが入っている倉庫のような雑居ビルを見て驚いてしまったというのである。階段を上がる気にはとてもならなかった、と。
私に限らず、創業者というのは同じような経験をしている人は多いのではないか。会社といっても、早い話が「神山商店」という零細企業なのだ。こういう会社に入っていいのか、と不安になってしまったとしても不思議ではない。
しかし、そんなことを言っていたら、人材は採用できない。私にできることは、面接まで来てくれたら、どうにか自分自身をアピールすることだけだった。全身全霊で夢を語る。それが実現できるかどうかはともかくとして、そのつもりでやる。全力で事業に打ち込むという決意を語る。それで、来てもらえるかどうか。
実際のところ、来てくれる人はそれほど多くはなかった。どこにも採用されないような人では、私たちも困る。半導体という先端技術の商品を扱っているだけに、基本的な能力がある程度は高くないと勤まらないのだ。