「い・ぬ」「ね・こ」「か・に」…。室内に元気な声が響き渡る。

 A5版の用紙には大きな文字で単語や童謡、ことわざなどの簡単な文章が書かれ、それらの単語や文章が一目でわかるイラストが添えられている。

 しばらくすると、「いち・たす・いちは・にっ!(1+1=2)」などと、プリント教材に並んだ簡単な足し算を読み上げる声も聞こえてきた。

 ここは学習塾ではなく、ある介護施設。むろん、声を出して学んでいるのは児童ではない。皆、70歳以上の高齢者である。

 じつは、その学習用プリントには、一見場違いな「KUMON(くもん)」という文字が記されている。

 いうまでもない。KUMONとは、児童向けにプリント教材を用いる公文式の学習教室を全国約1万7000ヵ所(2010年9月現在)で展開している公文教育研究会のこと。じつは、先述の介護施設での光景は、今、公文が力を入れる「学習療法」の様子である。

 学習療法とは、東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授の協力を得て、公文が認知症の維持・改善、予防のために開発したプログラムだ。一桁の足し算などの簡単な問題を解いているときや、本を音読しているとき、人とコミュニケーションを取っているときに脳が活発化するという川島教授の研究成果(仮説)に基づき、「脳を鍛える」療法である。

 指導する立場の学習支援者1人に対して高齢者が1~2人で、「読み書き」と「計算」をプリント教材で学習するほか、数字盤を用いた簡単なゲームを行う。加えて、読み書き用プリントに書かれたイラストなどを話題にして、必ず学習支援者と高齢者、または高齢者同士のコミュニケーションを取り入れているのが特徴だ。1日当たり3枚のプリント教材を使い、週に3~5日間行うのが基本である。

 特に介護施設では、コミュニケーションの効用が大きい。たとえば、介護付き有料老人ホームのサンビナス立川では、08年から学習療法を取り入れているが、「職員と入居者のコミュケーション向上と、(認知症や健康状態の)状況の把握に役立っている」(塩谷武弘参与)。このため、同ホームの社長も自ら学習支援者として参加しているという。

 この学習療法の実証研究は2001年9月から行われた。複数の福祉施設に住む認知症の高齢者を、学習したグループとしなかったグループで比較したところ、学習したグループに脳の認知能力や記憶能力などの改善が認められた。そのため、2004年7月に有料老人ホームやグループホーム、特別養護老人ホームなどの高齢者福祉施設向けに、認知症の改善と進行抑制のための学習療法として、公文が事業化した。

 ほかに地方自治体向けには、この学習療法を、認知症の予防を目的とする「脳の健康教室」として提供している。

 公文によれば「当初は赤字覚悟で、社会貢献的な要素から始めた」という学習療法の事業だが、日本国内の少子高齢化という実態を見れば、これから児童向けの学習塾や教材などのマーケットはより一層縮小するのは火を見るより明らかだ。

 実際、危機感を持った児童など、若年層向け学習用の教材や出版物の大手である学研ホールディングスやベネッセコーポレーションはグループ会社を通じて、介護・福祉施設の運営に乗り出し、今や介護業界大手の一画にまで成長している。

 2010年9月現在、公文の学習療法は1208施設、脳の健康教室は約200の自治体で約390ヵ所。「学習療法を導入する施設は、毎年200くらいのペースで増えている」(くもん学習センター普及部の二瓶澄夫リーダー)。

 現時点では収益的には赤字だが、数年以内には黒字化が予想されている。今後は海外向けの教材も開発する計画であるという。

 将来的には、学習療法が公文を支える事業に成長する可能性は高い。

(「週刊ダイヤモンド」編集部 山本猛嗣)