「コミュニケーションは要求である」
 コミュニケーションを取ろうとする者、メッセージを発信する者は、ある要求があるからコミュニケーションをするのである。ある事柄を知ってほしい、理解してほしい、その真意に共感して、同じように行動してほしい、そのような思い、要求があるのだ、ということ。そのような思いが強ければ強いほどメッセージ性が高まり、逆に、何かを伝えたいという思いが明確になっていないメッセージは伝わらない、という意味である。

 「コミュニケーションは期待である」
 コミュニケーションの受け手は自分の関心事には耳を傾けるが、それから外れるものは聞いているようで聞いていない。人は聞きたい事しか聞かないし、見たいものしか見ない、逆に言うと、自分の意に反する事柄は、なかなか聞いてくれないもの。大事なことは、コミュニケーションを取ろうとする相手の興味、関心事を把握して、伝えたいメッセージをそれにリンクするような加工を施すことが必要である。

 「コミュニケーションは知覚である」
 コミュニケーションを取ろうとする者とその受け手の間には、大きな違いがあることを認識する必要がある。ドラッカーは、「ロシア語が分からない人に、ロシア語で話しかけませんよね」と言っている。どれだけ相手のことを理解し、相手目線に立てるかが大事なのだ。

 「コミュニケーションは情報ではない」
 数値や客観的な記述では、コミュニケーションの最終目的である行動には結び付かない。共感や感動を与えられるようなストーリーにより、コミュニケーションはなされるべきである。知ってほしい、理解してほしい、というレベルであれば、ストーリーがなくても伝わる。しかし、共感してほしいレベルになると、自己投影でき、自分事として理解できるような物語性が必要となる。そこに共感し、自らのコトとして「腹落ち」して初めて、次のレベルである行動に結び付く。

 当事者意識を喚起させるには、感情移入ができるような、起承転結のあるストーリーとして伝える必要がある。課題があり、どのように苦しみ、それをとのように克服し、どのような効果があったのか。その当事者に、感情の流れも含めて語ってもらう。読者が疑似体験できるようなストーリーとして掲載することで共感し、自らに置き換え、その効果を自らとしてイメージして、初めて行動に結び付く。

 以上が、ドラッカーの示したコミュニケーションの原則である。これらから導き出されるコミュニケーションについての本質とは、コミュニケーションは相手により成立するという事実である。