日本ではまだまだ馴染みがないHIV陽性者に対して、無知から生じる職場での誤解や差別は少なくない。ところが、HIV陽性者の勤務先業種の割合が最も高く、医学的な知識も熟知しているはずの「医療・福祉」の現場が「最も差別が激しい」と言われている。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

「知識はあっても怖い」
医療現場の本音

 1995年春、米国・西海岸にある有名大学病院に搬送されてきた患者を見た瞬間、Y医師は「あっ」と小さな声をあげた。

 黒人であり、明らかにホームレスだった。

 転倒したのだろう。血を流し、泣いているが、目はうつろだ。

(この患者はエイズかもしれない)――とっさに浮かんだのは、そのことだった。

 当時、Y医師は日本から留学したばかり。送迎会の酒席で「エイズをうつされるなよ」と冗談めかして笑っていた友人たちの声がよみがえり、手足が凍りついたように動けない。

(怖い、触りたくない)躊躇していると、上司のF医師がやってきた。

 彼は患者に素早く歩み寄ると「大丈夫、心配いらないからね」と優しく語りかけ、おでこに軽くキスをした。

「衝撃でした。僕だって、エイズが簡単にうつる病気でないことぐらいは知っていました。でも怖かった。得体が知れないというか、エイズ患者を診たことがなかったし、同性愛者や麻薬中毒患者の病気という偏見もあったからです。そう感じていたのは僕だけではなかったでしょう。でも、先生は違った。決して差別せず、治療を最優先していました。この人は信じられると思ったと同時に、あんなふうに行動できなかった自分を深く恥じました」(Y医師)