小野組転籍事件

「小野組転籍事件」という、これも木戸が子分救済に一生懸命になった事件がある。
 舞台は京都。主役は、京都府参事槇村正直(まきむらまさなお)、後に男爵、元老院議官にまで昇った長州閥の大物である。

 被害者は、三井などと肩を並べる江戸期以来の豪商小野組。
 その他、やはり井上も、実は木戸自身も絡んでいる。

 小野組の本拠地は京都であったが、御一新後、東京が首都になり、小野組の商売も東京が中心とならざるを得なかった。
 そこで、明治六(1873)年四月、小野家は東京への転籍を願い出たのだが、京都府はこの願書受理を拒否した。理由は、明白である。

 当時の新政府地方官は、ひと言でいえば、天下が薩長のものになって己(おのれ)が旧大名に代わって新しい大名になった程度の認識しかもっていなかったのである。

 そこで、公的な税金=公租以外に臨時の金を豪商に出させることが当たり前のように行われていたのである。
 この金は、参事や後の県令を中心とした地方官の懐に入るのだ。
 従って、転出をさせなかったのである。

 問題は、槇村が木戸の懐刀(ふところがたな)であったことだ。
 木戸の政治資金は、ほとんど京都府から出ていたといわれている。

 政治資金などともっともらしい表現をしたが、私的な金を含む全収入と考えて差支えない。
 木戸が京都の屋敷を入手する時、それを担当したのは槇村である(その時は三井が絡んでいる)。

 更に、小野組は三井の商売仇(がたき)、三井といえば井上であり、井上も木戸の子分である。
 西郷が、井上に面と向かって「三井の番頭さん」といったことは、余りにも有名な話だ。

 槇村、井上としては、京都府の金づるである小野組の転籍を認めるわけにはいかず、何と小野家当主を白洲に引っ張り出して転籍の断念を迫るという暴挙に出た。
 それ以外にも、京都府庁自らさまざまな迫害を加えたといわれている。

原田伊織(Iori Harada)
作家。クリエイティブ・プロデューサー。JADMA(日本通信販売協会)設立に参加したマーケティングの専門家でもある。株式会社Jプロジェクト代表取締役。1946(昭和21)年、京都生まれ。近江・浅井領内佐和山城下で幼少期を過ごし、彦根藩藩校弘道館の流れをくむ高校を経て大阪外国語大学卒。主な著書に『明治維新という過ち〈改訂増補版〉』『官賊と幕臣たち』『原田伊織の晴耕雨読な日々』『夏が逝く瞬間〈新装版〉』(以上、毎日ワンズ)、『大西郷という虚像』(悟空出版)など