【 1 】
爽やかな4月の風が頬をなでていった。
駅から会社までの通勤の道のりを、山村圭介(やまむらけいすけ)は腕を大きく振って歩いていた。いつものように橋を渡り真っすぐ進もうとして、「工事中の看板」に突き当たった。新しい大きなビルができるらしく、ガスやら電気の埋設工事のため迂回を余儀なくされた。
時計を気にしつつ、川沿いの道を早足で右に折れた。そして、ちょっと近道をするため、公園の中をぬけることにした。つい先日までは、その公園を満開の桜がピンクに染めていたが、いつしか葉桜となり目に眩いばかりの新緑となっていた。「ハア~」と大きく息を吸い込んだ。
その時である。圭介は、公園のベンチのあたりにいる1人の老人に目が留まった。手に袋を持ってゴミを拾っているようだ。別にそのこと自体珍しいことではない。「地域の奉仕活動」か何かであろう。しかし、どこか違和感を抱いた。近づいてみて、その違和感は具体的なものになった。
その老人は、「スーツ」を着ていたのだ。70歳はとうに超えていよう。いや、80近いかもしれぬ。今流行りのイタリアンスーツではなく、往年のイングランド調の背広をパリッと着こなしている。圭介のような素人が見ても、ずいぶん高そうな代物に見えた。要するに「紳士」なのだ。
老紳士は右手に軍手をはめて、左手には2つのゴミ袋を持っている。空缶とその他のゴミを分別しながら、黙々と拾っている。圭介は、ふと立ち止まり思った。
(ひょっとして、ボケ老人かな)
「認知症」になった伯父がいる。夜中に突然スーツを着て、「今から会社へ行く。緊急役員会の招集があった」と外へ飛び出して行った。伯母が慌てて止めたが、そのままタクシーに乗ってしまった。会社のガードマンが警察に通報し、大事になってしまったと聞いている。そのことが頭にあったので、ちょっと心配になったのだ。
でも、仮にそうだとしても、交通事故の心配もないし、まぁ大丈夫だろう。
(むやみに他人事に首を突っ込まないほうがいいな)
そう思うと、圭介は会社への道を急いだ。