山村圭介33歳。独身。ガスショップ「田中エナジー」の営業兼工事マネージャーをしている。田中エナジーは、「ガスの配管工事」や「ガス器具の販売」を主体に行ってきたが、近年は収益率の低下から「建築リフォーム」に進出し、もっぱら工務店のような業務に力を注いでいる。そのため、ここ数年で社員が20人と3倍に増えた。

 圭介は田中エナジーの社長・田中修(たなかおさむ)の甥っ子で、大学を卒業してすぐ入社した。最初はガスの取付け工事だけしていたが、社長の「親類の会社以外のところで一度働いたほうがいいだろう」という方針で、3年間「知り合いの工務店」へ修業に出された。そして戻ってすぐに工事マネージャーとして、「リフォーム部門」の立ち上げを任されたのだった。

「おい、圭介。ちょっと来てくれ」

 出社するなり、田中社長に呼ばれた。事務所の隣にある作業場へと促されて付いていった。圭介は心の中で「またか…」と思った。
「なんとかならんかの~、これ」

 社長は床を指差して言った。そこには、かんな屑や配線コード、パイプの切れ端が散乱していた。いつも、言われると「そうじ」をしているが、長続きはしなかった。「工事マネージャー」である圭介が厳しく言わないので、8人の部下もちゃんと片付けようとしない。

 社長がうるさく言うと、その場にいる者が慌ててホウキとチリトリを持ってそうじを始める。だが、また3日もすると元通り。言う方も、言われる方も愉快ではなかった。そんな状態が、「リフォーム部門」がスタートして3年もの間繰り返されてきた。

「お前なぁ、何回言ったらわかるんかなぁ~、ちゃんとそうじしなきゃいかんだろう」
「…すみません。今からスグやります」
「いや、そうじゃなくってなぁ。いいかぁ、毎日、仕事が終わったら日課にしたらいいじゃないか、そんなに大変なことじゃぁないだろうに…」

 温厚な社長の田中だが、今日は少し口調が荒い。圭介は無言でホウキを手に取ると、さっと大きなゴミをかき集めた。

「おいおい、聞いてるんか」
「聞いてますよ。わかってますけどね、いつも人使いが荒くて、そうじなんてする暇ないでしょう。一昨日だってそうでしょう。7時に事務所に戻ってきたら、『二丁目の銭湯のボイラーを見てやってきてくれ』でしょ。こっちは、飯も食べずに夜中の12時近くまで修理してたんですよ」
「…いや、悪い悪い、まぁ、そう怒るなよ。圭介が頑張っているのはよくわかっているよ。リフォームもようやく軌道に乗りつつあるし、それもみんな圭介のおかげだよ」
「だったら…」
「でもな、俺の性分というかさ、汚れているのは、とにかく気になって仕方がないんだ」

 圭介はちょっとムキになって言い返す。
「別に、仕事上、困るほど汚れているわけじゃないでしょう。つまずいて転ぶほどゴミが落ちているわけでもないですし、少しくらいいいじゃないですか」
「…う~ん、だけどなぁ」

 圭介はゴミ袋にかき集めた廃材を押し込んで、
「さあ、これでいいでしょ。少しはさっぱりしましたよ」

 社長はしげしげと床を眺めた。

「まだ、小さな汚れがあちこちにあるだろう、もっとだねぇ、こう丁寧にやって、キレイさっぱりした感じにはできんのかね…」
「社長、こうも言いますよね。『アイデアは雑然の中から生まれる』って。この前テレビを見てたら、ナントカっていう小説家が『整理・整頓していないグチャグチャの机の上から名作が生まれる』って言ってましたよ」
「小説家とガス屋を一緒にするなよ」
「じゃぁですね、お聞きしますけど。いつも社長は、キレイ、キレイって言うけど、そうじをすると売上が上がるんですか? お金が手に入るんですか?

 社長は言葉に詰まってしまった。「そうじをすると売上が上がるのか? お金が手に入るのか?」そんなことは考えたこともなかった。社員に面と向かって訊かれると、答えようがない。言葉に詰まって、ちょっと力んで社長が言った。
「とにかくだなぁ。キレイにすると、すごく気持ちがいいんだよ!」

 話はここまでになった。次々と社員が出勤しはじめ、作業着に着替え、それぞれ現場へと飛び出していった。