今、ネット上の多くのメディアの中で、「コタツ記事」と呼ばれる“ニュース”が激増しています。取材に出ていかなくてもコタツに入りながら書けるようなお手軽な記事を意味します。たとえば、芸能人ブログの更新状況や、テレビで流れたゴシップの紹介記事。ビジネスのことだけ考えれば、自分で取材をして手間のかかる記事をつくる必要性はなく、大変効率がいい。でもはっきり言って、これはニュースではないと思います。

「ネコ動画」もニュースと
呼ばれてしまう違和感

奥村倫弘氏

 ネットの記事において、「ニュース」と「感情的なコミュニケーション」の線引きがなくなってきています。頭を使って理解しないといけないものよりも、感情を揺るがせるコンテンツのほうがより多くに受け入れられやすいのは、古今東西を問わない事実だと思います。それがネット社会となり、より感情的なコンテンツが流通しやすくなってきました。

 私の著書のタイトルにもあるとおり、今ネット上で簡単に配信できるうえ、大きな反響を呼べるコンテンツの代表格が「ネコ動画」です。これまでのニュースは、PV面においても生産コストにおいても、ネコ動画に完敗してきました。新規参入した新興メディアほど、こうしたネコ動画の類で事業を成立させようとしています。

 動物の動画は私も大好きで否定するつもりは全くありませんが、そればかりが見られるようになると、本当のニュースがやせ細ってしまい、気づいたときには手遅れになってしまうと思います。

 ネコ動画自体は当然ですがニュースではありません。私は、感情的なコンテンツもひっくるめて「ニュース」と呼ばれる現状に対して、強烈に違和感を覚えています。

 年齢的に40、50代以上だと、ニュースとは何かが肌感覚で分かると思いますが、若い世代になると、あらゆるものをニュースと認識するようになっています。言葉は生き物なので意味するところが変わっていくことはあるでしょうが、ことニュースに関しては、読まれないから必要ない、という類のコンテンツではないのです。それを守っていかないといけない危機感はあります。

ネットの自由はついに
WELQに行き着いてしまった

 昨年、大手キュレーションサイトであるWELQが著作権や薬事法遵守などの点で問題視され、公開中止になる事件がありました。それに先立って、バイラルメディアであったBUZZNEWSが他人のコンテンツを剽窃し、フリーライターのヨッピーさんに追及されてついに閉鎖に追い込まれました。そこで当事者が反省していれば、WELQ問題も起きなかったわけですが、そうはならなかった。