Photo:SUBARU

スバルがなぜ高収益企業に
飛躍することができたのか

 スバル社の前身、戦闘機「隼」などで知られた飛行機研究所(後の中島飛行機)の設立は1917年。創立100周年となる今年2017年4月1日、富士重工業は「SUBARU」(以下、スバル)に社名を変更した。

 スバルのここ10年の躍進は目を見張るものだった。リーマンショック後の赤字から立ち直り、売上高・グローバル販売台数ともに倍増して2016年度(2016年4月?2017年3月)のグローバル生産台数は105万5000台と100万台超えを果たした。特に注目すべき営業利益率は、2015年度が17.5%と業界で断トツとなり、2016年度も為替が円高(1ドル=121円→108円)状況であったにもかかわらず、12.4%と高収益を維持した。

 スバルが高収益企業に飛躍できたのは、2011年、社長に就任した吉永泰之体制の下、経営多角化事業の「選択と集中」を明確に進める一方で、自動車のスバルブランドの向上に尽力してきた結果の現れである。特に、米国におけるスバルブランドの向上策が見事に当たり、グローバル販売で66万7000台、全体の63%を米国が占めるほど、売れ行きが好調だったからだ。

 しかし、スバルのグローバル戦略で依存度が高い米国市場がピークアウト、すなわち調整局面に入り、値引き販売競争も激化する中で、今期のスバルの業績予想は売上高3兆4200億円(前期比2.7%増)に対し営業利益4100億円(同0.2%減)にとどまる。ただ、この営業益減少については、研究開発費、設備投資とも過去最高水準を見込むことによるものでもあり、吉永社長も次のステップに向けた足場固めのため「きちんと実力をつけていく」方向性を強調する。

 自動車の技術大転換時代を迎え、スバルはここ10年の急成長から再び成長軌道に乗ることができるか、正念場を迎えることになる。