「国境の開放」とは?
領土問題の非軍事的解決策のもうひとつが国境の開放だ。ガルトゥングはヨーロッパのバスク、カタルーニャ、アジアのタミルなどのケースを取り上げ、国境の自由な往来、一定の行政権限、民族的アイデンティティを尊重した名づけなどによって暴力的対立を緩和することができると論じる。
領土問題においては、所有権の帰属もさることながら、国境が開かれているか閉じられているか、領土の名前は何か、どのような共同所有がどの程度保たれているかが重要な意味をもつのである。(p.67)
地域共同体によるシステム
国家間の軋轢や対立の原因は、主権国家システムという現在の世界の構造にある。これが続く限り、システムの中枢の座をめぐって、あるいはシステム内のニッチをめぐって、戦争のリスクがつねに存在する。
国境を開けば領土の重要性は低下する。国境を開くことによって、世界は主権国家システムから地域共同体によるシステムへと進路を変えることができる。だから私の思いは、いつも地域共同体によって構成される世界のイメージへと舞い戻る。それが紛争を終わらせ、協調と調和を獲得する方法だと考えるからである。(p.70)
ガルトゥングがすすめる「専守防衛」
地域共同体から成る平和な世界は理想だが、現実には、世界には常に戦争があり、他国を攻撃する国がある。ガルトゥングは無抵抗主義者ではない。一切の武器を保有しない丸腰国家を推奨しているわけでもない。
軍事的な安全保障戦略には、(1)専守防衛、(2)攻撃的防衛(敵に攻撃されたときに敵の領土に対して行う攻撃)、(3)防衛的攻撃(敵の攻撃を防ぐための先制攻撃)、(4)攻撃的攻撃(敵を攻撃するための攻撃)の4つの類型があり、ガルトゥングは専守防衛を推奨する。
専守防衛は、国境防衛、領土内防衛、他国に占領された場合の非軍事的防衛(非暴力不服従など)という3つの要素で構成される。暴力のエスカレーションを防ぎ、平和を実現する唯一現実的な選択肢である。
日本には日本に適した国境防衛(沿岸の専守防衛)、領土内防衛(自衛隊による防衛)、非軍事的防衛(市民による非暴力不服従抵抗)があるはずで、日本にはぜひそれを追求してほしい。これら3つを組み合わせるなら、いかなる国も日本に攻撃をしかけて占領しようなどと考えないはずである。
もしどこかの国が、あえてそうしようとしたなら、たとえ国境線は突破できても、専守防衛の任務を担う強力な自衛隊の抵抗と、市民による不服従によって、その侵略者は日本から奪うより多くのものを失うだろう。(p.51)
短距離兵器と長距離兵器
専守防衛(国境防衛と領土内防衛)のために必要なのが短距離兵器である。短距離兵器と長距離兵器は、殺傷能力を持つ武器であることには違いないが、安全保障上はまったく別物である。長距離兵器と短距離兵器を区別しない安全保障論議はガルトゥングを苛立たせる。
長距離兵器とは、敵地攻撃能力を持つ航続距離の長い艦船、爆撃機、戦闘機(F-16、F-35など)、長距離ミサイルといった兵器である。他国を刺激し恐怖や不安を与えるので、対抗する他国とのあいだで軍事力のエスカレーションを生じさせる。日本の自衛隊は長距離兵器を保有している。それは他国を刺激し得るし、実際に刺激している。
短距離兵器とは、陸上ではジープ、海では魚雷艇(MTB)、空では航続距離の短いヘリコプター、精密誘導ミサイル(PGM)などである。こちらは他国を挑発せず、恐怖や不安を与えない。(p.46-47)
先月、東京・渋谷で行われた記者会見で、短距離兵器の調達についてたずねられたガルトゥングは、「日本は短距離兵器を独自開発する能力は十分にもっている。独自開発した短距離兵器を他国へ輸出することも、その国の専守防衛のためであれば妨げられる必要はない」と答えている。
日本からの基地撤退を求めるべきである
ガルトゥングは、日本政府は米国に日本からの基地撤退を求めるべきであると主張する。そんなことになったら、中国が攻めてくると考える日本人がいるかもしれない。冷静に考えればそんなことはあり得ないと思う人でも、漠然とした不安は感じるかもしれない。しかし、ガルトゥングは有事の際に米国が日本を守るということには強い疑いを持っている。
地政学についての私の知識が正しければ、米軍基地が沖縄から撤退した場合の唯一現実的なリスクは、中国による沖縄占領ではなく、米国による再度の沖縄占領である。米国は1972年の沖縄返還協定を破棄し、1945年の状態を再現しようとするだろう。(p.37)
日米安保をどう考えればいいか
その一方で、日米安全保障条約(安保)については破棄しようとする必要はないというのがガルトゥングの考えである。母国ノルウェーに対しても同様の提言を行っている。
安保というのは軍隊の使い方を定めたものである。軍隊を廃止しようとすると、眠れる番犬が間違いなく目を覚ます。好き好んで猛犬の穴に身を投じる必要はない。安保には手を触れないのが賢明である。そうすれば、時間の経過とともに安保は重要性を失っていくだろう。(p.38)
沖縄は沖縄自身に、つまり琉球に属している
ガルトゥングは「沖縄は日本にも中国にも属さない、沖縄は沖縄自身に、つまり琉球に属している」と言う。
沖縄に全面的かつ絶対的な独立を奨励するつもりもない。私の提案は、沖縄が沖縄県ではなく琉球として自立し、日本の中の特別な地域として日本との関係を保ちながら、もう一方で中国が提唱する東アジア共同体──本書で私が提唱する東北アジア共同体──の本部都市になるというものだ。
地図を見れば、沖縄が日本にも、中国にも、台湾にも、そして朝鮮半島にも近いことがわかる。沖縄はまさに東アジアの中心にある。この天の配剤とも言うべき地の利を生かし、沖縄は複雑な国際関係の中で特別な地位を占めることができる。沖縄は2つ、いや3つのアイデンティティを同時にあわせ持つことができる。すなわち琉球、日本の特別な県、そして中国と友好的な一地域という3つの顔だ。(p.43)
憲法9条は反戦憲法であっても平和憲法ではない
憲法9条は反戦憲法であっても平和憲法ではない、とガルトゥングは言う。文化や経済の面ですぐれた創造性を発揮する日本なのに、不思議なことに、外交の分野ではまったく創造性を発揮していない。なぜか? 憲法9条の存在によって日本人は国家間の対立や戦争のことで頭を悩ませる必要がなかったからだ。ガルトゥングは、日本が戦争の直接的被害を免れるという面では役割を果たしたが、国際社会の平和のために積極的貢献をするという面では、むしろ妨げとなってきたと考えている。
私は新しい憲法9条の制定に賛同する。しかしその内容は、憲法改正を望む大方の人々が考えている内容とは異なる。私は新9条が、より前向きな意思の表明となることを願う。これまでどおりの反戦憲法であるにとどまらず、積極的平和の構築を明確に打ち出す真の平和憲法であってほしい。平和とは何かを明記し、公平と共感の精神を高く掲げるものであってほしい。(p.225)
1930 年、オスロ生まれ。社会学者。紛争調停人。多くの国際紛争の現場で問題解決のために働くとともに、諸学を総合した平和研究を推進した。長年にわたる貢献により「平和学の父」と呼ばれる。「積極的平和」「構造的暴力」の概念の提唱者としても知られる。自身が創設したトランセンドの代表として、平和の文化を築くために精力的に活動している。創立や創刊に関わった機関に、オスロ平和研究所(PRIO)(1959)、平和研究ジャーナル(Journal of Peace Research)(1964)、トランセンド(1993)、トランセンド平和大学(TPU)(2004)、トランセンド平和大学出版局(2008)がある。委員あるいはアドバイザーとして、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)、国連児童基金(UNICEF)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、世界保健機関(WHO)、国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)などの国連機関で、また欧州連合(EU)、経済協力開発機(OECD)、欧州評議会、北欧理事会などでも重要な役割を果たした。教育面では多くの大学で学生を指導した。客員教授として訪れた大学は世界各国で60近いが、そのなかには日本の国際基督教大学、中央大学、創価大学、立命館大学も含まれる。名誉博士、名誉教授の称号は14を数える。平和や人権の分野で、ライト・ライブリフッド賞(“もうひとつのノーベル賞”、ノルウェー・ヒューマニスト賞、ソクラテス賞(ストックホルム)、ノルウェー文学賞、DMZ(非武装地帯)平和賞(韓国)、ガンジー・キング・コミュニティ・ビルダー賞(米国)など 30 以上の賞を受賞している。 写真/榊智朗