「『痴漢』の文化史」という論文を書いた岩井茂樹氏(大阪大学日本語日本文化教育センター准教授)によると、中国で「おろかな男」という意味で使っていた「痴漢」が江戸時代に日本で広く使われるようになり、明治になって小説や新聞でも「しれもの」などのルビが振られ、「おろかな男」「ばかもの」という意味で登場していた。

 それが、1890年代後半から、見ず知らずの男による性犯罪という意味で使用され、1930年代頃までに、「痴漢」は「女性にみだらな行為をする男」という意味を徐々に強めていき、「のぞき」から「強姦」さらには「強姦殺人」を犯した者まで「痴漢」と表現されるようになった。

 1960年代に、大江健三郎、吉行淳之介、泉大八、野坂昭如などが文学作品で「痴漢」を扱い、その存在がクローズアップされた。大江健三郎が1963年、文芸誌「新潮」に発表した『性的人間』では、孤独や絶望を象徴する存在として痴漢を捉えている。
 強姦や強姦殺人という捉え方はなくなり、電車や公共の場で身体を触ることを痴漢というようになるが、痴漢が重い犯罪だという認識が少なく、十分な対策もされてこなかった。そうした風潮を変えるきっかけになったのが1988年11月、大阪市営地下鉄御堂筋線で起きた事件だった。

 ある女性が電車内で痴漢をしている二人組を見つけ、被害女性のスカートのジッパーを上げて逃がしてあげた。その際に男性の顔を見たら、半月前、自分に対し痴漢をした男とわかったため、「前にも会ったでしょう」と注意したところ、逆恨みされたという事件だ。

「コンクリート詰めにして南港(大阪湾南部にある港)に放り込んだろか」「少年院上がりだ」などと脅され引き回された揚げ句、マンションの建設現場に連れて行かれノコギリで脅されながら強姦されたのだ。

 助けたがゆえにレイプされた女性は、痴漢されている女性を「見過ごすことができず、周囲の加勢もあると思い、思い切って注意したら、逆に居直られた。周りの人は怖がってジロジロ見るだけ。声を出してもし誰も来てくれなかったら、今度は何をされるかわからないと思った」と、助けを求められなかった胸の内、恐怖体験を警察での事情聴取で話した。

「地下鉄御堂筋線事件」が報道され、痴漢犯罪者に注意した女性がその報復として強姦される事態を許したら、性暴力に「NO」という声を上げられなくなると強い危機感を持った女性たちが集まり、大阪で「性暴力を許さない女の会」が発足した。

 事件の翌月、同会は性暴力をなくすよう大阪市交通局に対し、「車内広告やアナウンスなどで積極的なPR活動をする、駅員を増員し、女性の性暴力被害を防ぐと共に、被害があった場合は迅速な対応を行なう」などの要望書を提出し、関西の私鉄各社にも同様の要望書を送付した。