膨大な資料とむめの夫人から直接聞いた話をもとに執筆

――いいエピソードやお話がたくさんあった、と。

『神様の女房』にもたくさんエピソードを書きましたが、松下幸之助さんの夫人らしい、さすがの対応や判断が実際にいろいろとありました。

 それこそ経営者の奥さんの集まりで財団に話を聞きに来られるような場合などは、みなさん表情は真剣そのものなんです。自分の立場になぞらえて、こういうときはこういうふうにせなアカンのやな、などとお考えになられたんでしょう。

 経営者の妻として、あるいは会社員の妻として、悩んだり、苦しんでいる自分が、これからどうすればいいか、解決のヒントにしていただいたんだと思います。そういうヒントを見つけに来る、人生相談のように聞いてくださっていた人も多かったようでした。

 そんな中、たまたま、むめの夫人の話を聞きに来ていたコンサルティング会社の人が、面白い、会社で雑誌を創刊するので、そこで夫人について書いたものを連載してくれないか、と言われたわけです。

 それで連載が終わって、まとまった原稿がありましたから、知人を介してダイヤモンド社の編集者に見ていただいて。それを大幅に加筆したり修正してもらったりして、本になった次第です。

――それにしても、執筆のご経験がないのに、よく書けましたね。

 高校時代から、文章を書くことには慣れていたんですね。本をたくさん読んでいたことも影響したかもしれません。書くことには、まったく抵抗はありませんでした。

 連載のときは1回につき、原稿用紙8枚くらいでしたが、一気に書き上げることがほとんどでした。見直して書き直すこともなかったんです。素人の怖さ知らず、だったのかもしれないですね。

 もちろん事前の準備はしっかりしました。夫人についての話をしていたときのメモがたくさんありましたし、なんといっても資料館ですから資料はたくさんある。関係する本も山のようにありました。そこから、勉強させてもらって。また、執事になって以降は、むめの夫人についても自分が実体験で見聞きしたことが書けました。

――むめの夫人については、実は意外にもメディアに資料があまりないんですよね。

 そうなんです。雑誌のインタビュー記事も、「女性自身」が特集した5ページの記事くらいしかありません。取材をさせてほしい、という依頼はたくさんあったようですが、夫人が断っておられたんです。表に出ることは、あまり好きではないから、と。

「女性自身」だけは、広報部長と親しい人に頼み込まれて引き受けられたようでした。半日かかりの取材でしたね。それから、ジャーナリストの方が書かれた本が1冊。そしてもう一冊、これは私もインタビューをお手伝いした『難儀もまた楽し』という夫人が著書になっている本があります。

『神様の女房』著者インタビュー(前編)<br />最後の執事が語る「幸之助の妻」の素顔フィリップス社・トロンプ夫妻を空港までお見送りし、トロンプ夫人と談笑するむめの夫人、長女・幸子(右端)(1957年)