◇性暴力の語りかた

 テキサス州クリーヴランドで、11歳の少女が18人の男に集団レイプされたという事件があった。「ニューヨーク・タイムズ」の記事は、この出来事によって、町が引き裂かれ、たくさんの男の子たちの人生が台無しになったことを嘆いており、たった11歳の少女のことにはあまり文字数が費やされなかった。少女にも非があったのではと書かれ、母親はどこにいたのか問われていた(父親のことは問われていなかった)。

 私たちは、レイプが浸透し、大目に見られている文化の中に生きているといえる。性暴力および家庭内暴力のイメージにあふれたテレビ番組は日常にたくさんある。私たちはレイプについて語るが、注意深くは語っていない。

 現実の集団レイプの被害者は、生殖器系に取り返しがつかないほどのダメージを負い、高い流産の可能性を持つことになる。加えて、PTSDなどの心理的ダメージとも長く向き合うことになる。レイプはテレビや映画の中で描かれるのと違って、きれいに洗い流せるものではない。

「大新聞」はレイピストに同情的で被害者を責めるような記事を載せていたが、これは性暴力の語りかたとして、軽率というだけではなく、もはや犯罪的だ。

◇線引きはあいまい

 ロビン・シックのシングル曲「ブラード・ラインズ~今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ」は、女が否定しても「本当に」求めていることを、男が与えることについて歌った大ヒットソングだ。女性の「ノー」は「イエス」だという古くさい価値観がここにはある。批評家たちは、この曲の根底に流れる性暴力について指摘していたが、シックは悪びれず、男たちはいつも女たちを追いかけ回したいんだと語った。

 著者は、「認めるのは胸が痛む」と述べつつ、この曲が好きで「踊りたい気分にさせられる」という。作家として、著者は創作の自由を理解しているし、検閲は憎んでいる。それにしても、性暴力的な文化と検閲と、どちらかを選ばねばならないのは嫌だ、と著者は嘆く。

 ある男性ファンはビヨンセのコンサートで、彼女のお尻を叩いた。なぜなら彼女のお尻はすばらしいから。女性の意思に反して、触られたり見られたりするセクハラ問題は世の中にたくさんある。

 そんなのはただの歌、ただのジョーク、ただのちょっとしたハグだという男性側の言い分もある。けれど、それの意味するところは、女は男の気まぐれを満足させる存在だということで、それによって女の価値は減らされているか、あるいは無視されている。

 男たちの欲望は、つい一緒に歌ってしまうような歌で、明らかにされる。そして、何もかも、線引きははっきりしていないのだ。

◆人種とエンタテインメント
◇黒人映画 苦闘の物語

 黒人として史上初のオスカーを受賞したのは、『風と共に去りぬ』の乳母のマミー役を演じたハティ・マクダニエルだ。当時、大衆に受け入れられる黒人女性の唯一の姿はメイドだったため、彼女の仕事はメイドの役ばかりだった。2012年、オクタヴィア・スペンサーがオスカーを受賞したのも、メイド役を演じてのことだった。