圧倒的な「ブランド力」と「コンテンツ力」とは?

 けれども、本格マーケティング小説『殺し屋のマーケティング』において、そうではないことが描かれている。

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 西城は、開ける手を止めて、ニヤニヤ笑う。アルミの包みを破り、出てきたのは、表面が透明に光る、美しいあずき色の物体だった。見るからに滑らかで、食感が早くも想像できて、七海はゴクリと唾を呑み込んでしまう。

 西城はその「幻の羊羹」を、包丁で切り分けて、七海の皿に載せてくれる。そして、あごを出すようにして、食べるように促す。

 緊張で、手にしたフォークが震えているのがわかった。フォークの先で一口大に切り分けて、載せ、羊羹をゆっくりと口に運ぶ。いつしか、目を閉じていた。あと少しで、羊羹が口の中に入ってくる。

「おいしい……」

 声が漏れた。七海は自分が発したとは思えなかった。

 そのとき、すっと、フォークを持つ手が止められた。

 驚いて目を開けた七海の視線の先には、にやけて右の眉を上げている西城の顔があった。その手前に、焦点がボケたフォークがあった。そして――。

「え?」

 七海は声にならない声を上げてしまう。

 目の前の光景が信じられなかった。まだ、七海はフォークを口に入れてはいなかった。もちろん、一口大に切った羊羹も、口の中には入っていなかった。フォークを持った七海の腕は、西城の手に掴まれ、口の中に入ろうとした直前で止められていたのだ。しっかりとフォークの上にそのあずき色のぷるりとした姿があった。

 何が起きたのか、自分でもわからなかった。

「七海、今、たしかに君は、おいしい、と言ったよね?」

 七海は、コクリと頷く。本当においしいと感じたのだ。

 西城はひとつ、頷いて見せてから言った。

「それが、『ブランド』の力だよ」

「ブランド……」

 そう、と西城は頷く。そして、七海の腕を掴んでいた手を離す。そして、食べてみて、とでもいうように、また顎を上げるようにして促す。

 七海は、今度こそ、目を閉じずにフォークを口の中に持っていく。

 まだ噛んでいないのに、口の中に入った瞬間に、幸福感が湧き上がり、また、おいしいと先走って言いそうになる。

 じゅわっと唾液が口の中に満ちてくる。

「幻の羊羹」を載せたフォークは、舌の上に載せ終えると、役割を終えて、口から出ていく。

 舌が普段よりもはるかに敏感になっていて、ちょっと転がすだけでも、甘すぎない上品な甘みが口の中に広がる。

 ゆっくりと、咀嚼してみる。寒天が入っているのだろうか、柔らかいゼラチン質の羊羹が、破砕され、口の中に細かく広がり、舌全体がその甘みを感じる。

 七海は鼻から、ともすれば甘美とも取れる吐息をひとつ吐いて言う。

「おいしい……」

 気づけば、頬を涙が伝っていた。自分でも信じられないことだか、「幻の羊羹」を食べて、泣いてしまっていたのだ。

 西城は、七海を見て、こう言う。

「そして、それが、『コンテンツ』の力だよ」

「コンテンツの力?」

 そう、と西城は頷く。

「今、七海を泣かせているものの正体がそれさ」

 七海はなんとなくわかったような気がした。

 目の前にある、幻の羊羹を見ながら、七海は言う。

「たとえ、完璧なビジネスモデルを作ったとしても、それは単なる仕組みに過ぎない。小ざさのビジネスモデルは、おそらく、後づけのもので、その核に、この羊羹の味があってこそだったんですね」

(『殺し屋のマーケティング』本文より)
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