2012年に行われた東京駅のプロジェクションマッピングで高い注目を集めた村松亮太郎さん。実は、空間演出、映画製作、ミュージックビデオなどマルチに活躍しているアーティストなのだ。そんな彼に仕事について、生活について聞いてみた。
意外にもキャリアのスタートは俳優だった
「映画が好きで、役者になりたいというよりとにかく映画に携わりたいと思ってはじめました。ただ、当時はトレンディドラマの時代だったんです。だから、どうしてもそちらのオファーが多くなるんで、ぼくが思うものを表現するにはどうしたらいいかと迷っていた時にコンピュータとの出会いがあったのです」
行動の早い村松さんは、すぐに会社を立ち上げる。1997年のことだ。そして、コンピュータにのめり込んでいく。
「映画を作ろうと思ってコンピュータと向き合うんですが、やってるうちにデザインが面白くなってきて、映画編集をするつもりだったのが、動くデザイン(モーショングラフィック)をはじめることに」
当時はちょうど映画『セブン』が公開された直後で、カイル・クーパーが担当した斬新なタイトルバックが評判になったこともあって、モーショングラフィックに注目が集まった。
「ぼくはノウハウがないところを独学で勉強したんですが、当時の日本ではほとんどやってる人がいなかったんです。なので、当初のお仕事はドラマのタイトルバックが多かったですね。数年前まで日本一というくらいうちで手掛けてました。もちろん、現在もやってまして、大河ドラマの『軍師官兵衛』はぼくが手掛けた作品なんですよ」
以降、さまざまな才能が集まった会社では、タイトルバックをはじめ、ミュージックビデオ、テレビCM、などをボーダレスに、ジャンルを飛び越えて仕事をしていく。
「そうこうしてるうちに、映画を忘れちゃいかんということになって、まずショートフィルムを製作するんです。当時はまだ『ショートフィルムフェスティバル』が日本にきてなかったので、海外の映画祭に出品したり。そこで賞をいただいたことで、長編へと繫がっていくんですが」