人間の「思い込み」が
紙切れや金属に価値をもたらす

 一方、ビットコインはその名前に騙されがちだが、少なくとも現在のところは、それ自体に、現実に使っている貨幣と同じ機能はないと言っていいだろう。事実、ビットコインがどこで使えるかということは、ほとんど話題にはならない。そのレートの変動だけが、ニュースの見出しを飾ることが一般的だ。

 貨幣論という分野が経済学にある。筆者は専門家ではないが、非常に興味深く思っている。貨幣の機能は、(1)支払い、(2)価値の尺度、(3)蓄蔵、(4)交換手段――のいずれか、あるいはそれらの複数だが、今使われている世界中の貨幣のほとんどが、この4つすべてを満たしているのに対し、ビットコインに(1)の機能はほとんどない。むしろ(2)と(4)が強調され、現在流通している貨幣との交換手段と、それを通じた価値の尺度の変化が大きな注目を浴びている。

 考えてみると貨幣というのは、ただの紙切れや金属にしか過ぎない。人々がそれに価値を見出すのは、価値のある他の物との交換に使えるからだ。それだけではない、それは「他の皆も全員、物と交換できるだろう」と皆が考えていなくては成り立たない。交換が行われるためには、皆も「お金と物は交換できる」と信じなくてはならないからだ。

 さらにもうひとつ、「ずっと未来までお金と物は交換できるだろう」と皆が信じていなくてはならない。戦争直後やハイパーインフレ時などによくあるが、自国貨幣に将来、交換価値がなくなるだろうと皆が予測した時点で、その交換価値は暴落する。

 このように考えると、お金は「皆が物との交換に使えると信じ、それが未来永劫続くと信じ、かつ他の皆もそう思っているだろう、と信じる」という「幻想」によって支えられていることがわかる。つまり、お金は皆の思い込みという心理によって支えられているに過ぎないのだ。

 ビットコインが貨幣として不安定なのは、物と交換できる可能性が低く、もっと強固な現存貨幣との交換価値に限られていること、上記の「皆と共有する幻想」「未来永劫続くという幻想」という思い込みが弱いためだと筆者は解釈している。