80年代の日本経済、輸出型の製造業はまさに花形産業。わけても電機業界は「産業の米」と呼ばれたIC(半導体)を生産し、アナログからデジタル化の波に乗る日本経済を支える存在だった。この時代に大手電機メーカーに就職したBさんは、果てしなく続くめまぐるしいまでの忙しさのなかで、成長産業に就職した誇りを感じていたが……。

コロコロ変わる自分の肩書きが覚えていられない
電子部品メーカー管理職Tさん(48歳)

飛ぶ鳥を落とす勢いの
花形業界に入社

 Tさんが社会に出たとき、産業全体がアナログからデジタル化の波に乗っていた。Tさんは入社式で社長に言われたことが印象的だ。「これからはエレクトロニクスの時代です。我社の技術が人類の歴史を大きく変えるのです。製品を安定供給することが世界経済の発展につながります。まずは品不足を解消して増産体制にシフトします。一緒に頑張りましょう」

 セラミックやプラスチックにムカデのような金属の足がついた、ICと呼ばれる小さな部品に、そんな力が秘められていると言われても、その頃は実感がもてなかった。でも、世界の最先端の技術に触れられること、成長産業に就職できたことが誇らしくもあった。

 配属されたのは電子部品の購買部門だ。数千もある部品のなかで、営業から納期を催促される常に品不足をおこす約10種類の製品名だけはすぐに覚えた。その部品をめぐって、「工場にある分だけでもクライアントの工場に直送の便を今すぐ出せ」「港から欧米に輸出する数が足りない」「ラインを停めたらうちの会社は大変なことになるぞ」「秋葉原に行ってでも部品を探してこいよ」。

 自分のデスクの周りでは常に10人くらいの営業が泣きそうな顔で怒鳴っている。築地のマグロのせりの現場か、テレビでよくみる証券取引所のような賑わいだ。

 はじめは驚いたTさんだった。しかし部品が足りないと、世界じゅうの取引先の生産ラインが止まってしまう。大型コンピュータが、テレビが、VTRが、ワープロが作れなくなってしまうのだ。そのためにみんな必死だった。

 Tさんも工場との生産計画の修正に追われた。毎晩の終電は当たり前だった。でも辛くなかった。なぜなら自分が必要とされている実感があったからだ。役に立つことが嬉しかったからだ。世界でうちしかない技術。世界からそれが求められている実感があった。