一番多くの「普通の人」が関わる勉強の分野で言うなら、筆者の印象では、偏差値50の(つまり平均)大学生と、偏差値70以上くらいのハイレベルな中高一貫校に合格した中学1年生とを比較すると、後者の国語と算数の得点力は、既に前者を上回るように思う。

 1年間かけて、後者に高校数学(微積分など)と英語を教えるなら、後者が中学2年生の段階で、英数国の3科目で試験を行ったとして、得点能力で前者を上回るのではないか。

 野球で言うなら、リトルリーグの一流ピッチャーが、普通の大人が投げる球よりもずっと速い球を投げられるようなものだ。

 本人が興味と素質を持つ分野が、物理学なのか、経済学なのか、法律なのか、何らかの語学なのか、専門分野はさまざまだとしても、学問を修得・研究するに十分な基礎学力がある者は、小・中学校の年齢でも、大学なり大学院なりでどんどん受け入れたらいいし、十分な成果を挙げたら(高評価の論文を書くなど)、修士号なり、博士号なりを出すといい。

 後から気にすること自体にあまり意味があるとも思えないが、中学、高校、大学の「一般的な」卒業資格に相当する学力試験は、国なり、学生格付け会社のような組織なりが実施するといい。

 ちなみに、試験は、難しくないオーソドックスに常識を問う問題でいい。早々に大卒の学力を身につけたことを証明して、十代から企業で働き始めるのもいいと思う。吸収力の豊かな時期に、仕事の知識や社会の作法を身につけることは、大変有効だと思う。

 例えば、中学生の年齢から大学院に通って研究に打ち込み、高校生の年齢で博士号を取り、20歳になる頃には大学で教えながら、余裕を見つけて、高校、大学の卒業学力試験を後から受験する、といった人生があってもいいのではないか。

 企業は、こうした卒業学力検定の合格を入社資格に使ってもいいが、そもそも真に優秀な人材なら、世間一般が使っている検定試験の結果に関係なく採用したいはずだ。採用された人材は、後に高校卒業、大学卒業ではないことが気になるなら、後からそれぞれの検定試験を受けられるようにするといい。

 個々の高校、大学の学校ごとの卒業と、国の制度や民間の格付けとしての高卒・大卒の学力を認定する制度は別であっていい。国の資格を重く見るか、どの学校の卒業資格を評価するのかという裁量は、人を雇う企業などの側にあることが望ましい。国が関わるべきではない。