「中国語の部屋」は単なる難癖!?
「チューリングテスト」と「中国語の部屋」。
一体、どちらの主張に分があるのか。
この点に関しては、各自で判断すればいいと私は思っています。
そもそも、どちらの主張にも厳格な正解・不正解がないからです。
ちなみに、私は「中国語の部屋」は単に難癖をつけているにすぎないと、はっきり言って相手にもしていません。
たとえば、私が7桁の数字、10個をAさんに手渡して、「これを全部足し算してください」とお願いをします。
そして、Aさんが1~2分後には計算結果を私に報告してくれたとします。
しかし、Aさんは暗算したのではなく、その計算をエクセルで行っていました。
さて、この場合、暗算で足し算の合計を導けなかったAさんを「知能があるとは限らない」と断定してしまってもいいものでしょうか。
そもそも、考えようによっては、暗算よりもエクセルが使えることのほうが「知能が高い」と解釈することもできます。
同様に、たとえ中国語を理解していなくても、受け取った中国語の手紙を、マニュアル本を活用して中国語で返事を書ける時点で私は、それは立派な「知能」だと思っています。
実際に、サールの主張には、「人間だって結局のところ脳内のマニュアル本にしたがって会話をしているにすぎず、その人間に知能があるのであれば、機械にも知能があると結論付けるべきだ」と反論する学者は枚挙にいとまがありません。
チューリングとサールが、この件で直接対決をしたわけではありませんが、「チューリングテスト」vs.「中国語の部屋」は、AIを語る上での知的ゲームとして人気のあるトピックなので、みなさまも、この2人の主張のどちらに分があるか、議論をしてみるのも面白いかもしれませんね。
それよりも、AIと言えば避けて通れないのが、第4回、第5回連載で説明した「ディープラーニング」です。
そして、ディープラーニングをするAIは「子どものAI」。
一方で、人が一から教えて丸暗記させるAIは「大人のAI」と呼びます。
同じAIといえども、両者でどれほどの違いが出るのかは、第1回連載の中で「子どものAI」である「Google翻訳」と、「大人のAI」である別の翻訳サービス(X翻訳)に同じ英文を日本語に翻訳させて、まったく異なる結果になるケースを紹介しています。現在一番人気の第2回連載「近い将来、『税理士や翻訳家は失業』という予想は大間違い」と併せてお読みいただけたら、望外の喜びです。