このテストでは、人間の判定者が、別の部屋に隔離された2人、正確にはAIと人間のそれぞれと会話をすることにより合否を判定します。

 具体的には、別室の人間、ならびにAIは、人間らしく見えるような会話を行い、判定者がその二者を明確に区別できなければ、「そのAIは合格」、AIだと見破られれば「そのAIは不合格」と判定する方法です。

 ここで気を付けなければならないのは、このテストをパスしたAIが必ずしも「優秀なAI」とは限らない点です。

 というよりも、「会話が優秀」といっても、ボキャブラリーが豊富だから「優秀」と判断する人もいれば、レスポンスが速いから「優秀」と判断する人など、なにをもって「優秀」と評価するのかは人それぞれです。
 ですから、チューリングテストでは、あえて「優秀さ」ということにはフォーカスせずに、単に「AIと見破られないレベルの知能を持っているかどうか」という判定方法の単純さや、合否基準に幅を持たせているのが特徴です。

「チューリングテスト」に警鐘を鳴らす
「中国語の部屋」

 この「チューリングテスト」に真っ向から反論を唱えたのが、哲学者のジョン・サールです。
 彼は、通称「中国語の部屋」と呼ばれる次のような持論を展開しました。

 密室内にいる英語しか理解できないサールに、窓から中国語で書かれた手紙が投げ込まれるとします。
 しかし、その部屋には中国語の文章を書くためのマニュアル本があり、サールはそのマニュアルにしたがって返事を書きます。
 サールいわく「頭脳的ではなく機械的な作業」です。

 ところが、その返事を窓から投げ返すと、外にいる中国人はサールが中国語を理解していると判断します。
 この時点でチューリングテスト的には合格です。
 しかし、実際にはサールは中国語を理解してはいません。
 すなわち、チューリングテストではAIの知能は判定できないというチューリングテストへの警鐘です。

 では、アラン・チューリングとジョン・サール。
 一体、どちらの主張が正しいのでしょうか。