改革開放前の深セン
(左上)かつて香港・深セン国境に設置されていた鉄条網。今の韓国・北朝鮮間の38度線のようだ/(右上)深センに何もないことを話す古老の言葉/(下)改革開放前の深セン住民がいかに貧しかったかを紹介する展示。当時の中央は文化大革命などの政治運動に注力し、深センはケアされなかった

 こういう中国の描かれ方には理由がある。この博物館は深センの企業、招商局集団が運営している。今の招商局集団は政府100%株主の企業だが、もとは清王朝末期の李鴻章に端を発する、アジアとの貿易や投資などを担当していた組織だ。つまり中華人民共和国より長い歴史を、中国の一部として歩んできた。大銀行の一つである招商銀行や平安保険はこの招商局集団の出身で、いまも中国経済を支える企業の一つだが、共産党が作った会社ではない。

 改革開放時にこの組織を率いた袁庚は、深センの改革開放を引っ張るリーダーとして国のために尽くしつつ、それまでの中国とは違ったやり方を党中央にマークされるといった二つの側面を持つ人生を歩んだ。この博物館にはそうした紆余曲折やデリケートな背景がいくつも展示されている。

アフリカまで航路を延ばした招商局集団
1800年代から海外への投資を多くしてきた歴史と、アフリカまで航路を延ばして貿易や投資をしていたことを紹介する招商局集団の説明。今も金融や保険で存在感の大きい企業

公務員になるな!創意工夫をしろ!
深センから中国を変える

 招商局集団も深センも、中国が市場経済に背を向けていた頃は存在感がなかった。有名な改革開放と経済特区が始まり一気に勢いづいたのである。

 1970年代の後半、中国政府は文化大革命などの政策の失敗から、国外に逃げ出す人が多く出てくるほどの、極度の経済不況に悩まされていた。