共産党独裁の中国においては、「経済をすべて国がコントロールしている」と考えている日本人は多いが、共産党のビジネスが上手なわけではない。1980年代から深センでは徹底的な規制緩和が行われ、野心的な起業家がビジネスを大きくして、政府はそれを追認し後押しする立場にあった。深センで最初に開かれた土地である蛇口に新しくオープンした「改革開放博物館」はそれを伝えてくれる。(メイカーフェア深セン/シンガポール 高須正和)

深センの改革開放博物館蛇口にオープンしたDesign Society Museumの3階が、「改革開放博物館」となっている

中国政府より歴史の長い
深セン商人の紆余曲折

 鄧小平が「改革開放」路線による経済政策を打ち出したのは1978年。今年で40年が経過する。それに合わせ昨年12月末、深センの蛇口に「改革開放博物館」がオープンした。

 その展示は、「改革開放までの深センがいかに貧しい場所だったか」から始まる。1949年の中華人民共和国の成立から改革開放が本格化した1980年代以前の深センは、見事なまでに「貧しく何もない場所」として描かれている。

「宝安(古い深センの地名)には何もない。ハエ、蚊のほかはカキが取れるぐらいだ。9割の家は香港に逃げてしまった」という古老の言葉が紹介されている。

 当時の深センの貧しい様子に合わせて、文化大革命(1965年から約10年間、毛沢東の主導下で展開された政治・権力闘争)などの政治運動が紹介される。多くの犠牲者を出し、国内を混乱に陥れた文化大革命も共産党の政策なので、あからさまな非難が記載されることはないが、このあとの展示との対比ではネガディブに扱われているようにしか見えない。