イラン核合意は
サウジなどを抑えるタガだったが

 イラン核合意からの離脱を軸に見れば、そのことがよくわかる。

 イランの核合意は10年余の紆余曲折を経て、2015年にオバマ大統領の下で合意に至った。

 米国や欧州主要国、中国、ロシアとイランが、核兵器に転用できる高濃縮ウランなどの15年間の生産中止や、貯蔵濃縮ウランや遠心分離機を大幅に削減する「包括的共同行動計画」で合意、見返りに金融制裁やイラン産原油の取引制限などを撤廃するというものだった。

 その原点は既にブッシュ共和党政権時代にあり、当時、筆者は外務審議官としてG8政務局長会合で、欧州諸国がイランと交渉による解決を図ることについて米国の暗黙の了解を取り付けた経緯がある。

 米国側で、交渉による解決に強く反対していたのは当時、軍備担当の国務次官の職にあったボルトン現国家安全保障担当大統領補佐官だ。今回の核合意からの離脱は、ある意味で、ボルトン氏にとっては長年の主張を通したと見ることができる。

 米国は、イランとの交渉にはオバマ政権になってから参加することになり、国連常任理事国5ヵ国(米英仏露中)プラス独という形でイランと交渉し、合意に至った。

 当時の国際社会は、イランが核を保有することになると、サウジアラビアなども核保有に走り、核のドミノが起こることが危惧された。またイランと敵対するイスラエルは、交渉による解決がうまくいかなかった時には、イランの施設を空爆する可能性もあった。

 そうなれば中東に再び大規模な軍事的対決を招くことになる、という強い懸念を主要国が抱いていた。

 米国は交渉による解決を図るため、相当に広範囲な経済制裁を導入し、特にイラン中央銀行を制裁対象とすることで海外との資金取引をできなくし、事実上、イランが石油輸出をする道をふさいだ。

 経済制裁の結果、イランは物資不足などで激しいインフレに見舞われ、国民生活を維持していくためには制裁の解除が国内政治の最重要課題となったことが核合意に繋がったと見られている。

 ただこの核合意は核関連施設を全て廃棄するというのではなく、核弾頭を生産するのに必要なウラン濃縮を制限し国際原子力機関(IAEA)の厳しい監視を導入するものだった。

 このような合意はイランの核開発を防止することにならないとして、当時から強く反対していたのはサウジアラビアとイスラエルである。

 今回のトランプ政権の核合意からの離脱表明は、米国とサウジアラビアやイスラエルとの関係強化、反イランの姿勢を明確にするという戦略のもとで結論に至ったものだ。