そしてアメフトも、俗に格闘技であるとも言われる危険なスポーツで、だからこそ絶対にやってはいけない行為があるが、日大選手はそれをやった。格闘技で例えれば、ゴングが鳴って自分のコーナーに引き揚げている相手選手を後ろから殴りかかるような行為。それくらい卑劣な反則なのだ。反則した日大選手は泣いているとの報道もあるが、泣いたくらいで許されるはずもない。

約40年前に起きた
関学アメフト部の悲劇

 また、関学チームのQB負傷は、僕ら世代の関学OBにとって、特別な意味がある。いまの記者は知らないのかどこのメディアも書いていないが、40年くらい前に起きた「悲劇」があるのだ。

 関学アメフト部はいまでも強豪だが、僕が関学に入学した頃までは無敵の強さを誇っていた。まさに黄金期だった。関西学生アメリカンフットボール連盟のリーグ戦では、1948年から34連勝。大学日本一を決める甲子園ボウルにも33年連続出場。特にリーグ戦では、1948年から76年まで実に145連勝。まさに敵なしの常勝チームだった。

 しかし76年、京大との試合に敗れ、連勝記録はストップ。リーグ戦でも京大と同率首位となり、甲子園ボウルへの出場権をかけたプレーオフでは勝ったものの、関学・京大戦は非常に白熱したものだった。当然、関学生もヒートアップ。また、関西のトップ大学である京大と、私学の雄である関学が競り合っていたこともあって、一般の関心も高まり、当時の関西ではちょっとしたアメフトブームが起きていた。

 そんな時代の関学アメフトチームでQBを努めていたのが猿木唯資選手だった。僕が入学した時、猿木選手は四回生だったはずだ。猿木選手は当時から名クォーターバックとして誉れ高く、関学生はみんな「猿木がいるから、京大には絶対に負けない」と思っていた。まさにスター選手だった。アメフト部でもない僕ら一般の学生にとっても、憧れの選手だった。