日大アメリカンフットボール部の悪質タックルに端を発した騒動は、問題のプレーから3週間以上経った今も収束する気配がない。
この間に起きた出来事やその推移はメディアが詳しく報じているから、ここでは触れないが、この問題で浮き彫りになったのは、いまだに日本のスポーツ界に体育会的縦割り構造が幅を利かせている現実だ。
部のトップに君臨する指導者が絶対的な権力を持ち、コーチや選手はその命令は従わなければならない強固な構造が築かれている。その命令がたとえ理不尽なものであってもだ。
選手の謝罪会見で図らずも露見
日大アメフット部の縦割り構造
今回の問題で日大指導者サイドは「相手選手をケガさせろとは言っていない、それに近いことは言ったが、選手に正確に伝わらなかった」と弁明している。仮にそれが事実だとしても(誰も信じていないが)、正確に伝わらないこと自体、組織としておかしい。問題のプレーを行なった選手は記者会見で、「監督と直接話はあまりしない。意見が言えるような環境ではなかった」と語っているし、「監督、コーチがそれだけ恐い存在だったということか?」という質問には「はい」と即答している。この答えが、日大アメリカンフットボール部が典型的な体育会気質の縦割り構造だったことを示している。
3月に明らかになり大騒動に発展した至学館大学レスリング部のパワハラ問題でも同様の体質が感じられた。同部の栄和人監督は女子レスリングの強化に努め、五輪でメダルを量産する種目にした名指導者ではあるが、この騒動で体育会気質を持つ人であることが判明した。パワハラのターゲットになったのは教え子の伊調馨選手。五輪を4連覇し国民栄誉賞まで受賞した伊調選手が、自身のさらなる向上のため栄監督とは別のコーチに指導を仰いだところ激怒。選手生活を脅かすさまざまな妨害を行なった。
栄監督は日大アメフト部の内田前監督とは異なり、選手とは密にコミュニケーションをとっていたようだが、このタイプの指導者には「自分が絶対」という思い込む傾向がある。だから、自分に従う者はとことん可愛がるが、自主性が芽生え意に反する行動を少しでもすると、裏切られたと考えて排除に動くわけだ。指導者とは選手を教え導く存在であり本来、“選手ファースト”の発想を持っていなければならないが、“自分ファースト”になっているのだ。至学館大の場合、栄監督だけでなく、その上に立つ学長もそのタイプだった。