日本には安全保障のポリシーがない

 いま見たように、保守のなかのねじれ、リベラルのなかのねじれ、そして保守とリベラルの安全保障観の齟齬があるため、日本のあるべき国際貢献や安全保障のあり方について、建設的な議論をつくれずにいるのが現在の状況です。

 しかし、そういった態勢では、ルワンダや南スーダンのような事態にどう対応するのかという問いに対して、明確な応答ができません。国連として武力行使を認めないと解決できないような紛争が起きている現状に、日本はどう向き合っていくのか。そういう問いがいま投げかけられているわけです。
こうした問いに対して明確な応答を持っていないと、情勢の小さな変化で安全保障政策が大きくブレてしまう危険性があります。だから、しっかりとした軸足を持った安全保障思想みたいなものを設けなくてはいけません。たとえば、自衛隊をどうするのか。自衛隊を認めるのであれば、先述した軍法のない状態をどうするのか、という問題を考えていく必要があります。

 この段階の議論では、改憲が必要かどうかにこだわることは得策ではありません。現状でも、自衛隊を持てることになっているし、自衛権は認められている。それからPKO活動もある程度は認められている。

 ただ、現状のPKO派遣原則のままでは、自衛隊の隊員に危険が及ぶこともたしかです。それを防ぐための議論は必要でしょう。

 また、自衛権についても、日本は明確なポリシーを持てていません。たとえば、国際安全保障は認めるけれど、集団的自衛権は認めないという判断は一つのオプションとしてあり得ます。あるいは、アメリカが繰り返し喧伝しているような先制的防御なるものはあり得ないという形で自衛権を定義する、という議論もあっていい。そういったことも含めて、自衛権を行使するバリエーションを問うていくことは必要でしょう。

 いずれにしても重要なことは、改憲かどうかよりも先に、現状の国際安全保障のリアリティを共有しながら、日本の安全保障思想を構築していくということです。