日本を代表する夏の風物詩「徳島市阿波おどり」(8月12~15日)の観光客が昨年より約15万人減少し、記録が残る1974年以降、最低の人数にとどまった。テレビで小競り合いになっている映像をご覧になった方も多いと思うが、阿波おどりを巡っては今夏、徳島市を中心とした実行委員会が例年のメインイベントとされてきた「総踊り」中止を決定していたが、反発した踊り手団体が強行するなど対立が表面化。昨年は主催者団体の巨額な累積赤字が浮き彫りになり、徳島市が破産を申請するなど問題が発覚している。全国どころか世界から観光客が訪れる一大イベントに、何があったのか。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
400年続く伝統芸能
まず、徳島市阿波おどりがどんな伝統芸能なのか、おさらいしておきたい。
文献などによると、ルーツとなる「阿波踊り」の発祥には諸説あるが、有力とされるのは徳島藩祖・蜂須賀家政が徳島城を落成した天正15年(1587年)、祝賀行事として人々が城下で踊ったのが始まり。その後、藍や塩などで富を蓄えた商人らが、年を重ねるごとに豪華にしていったと伝えられている。現在でも徳島県(旧阿波国)各地で8月に行われているが、さかのぼればその盆踊りが由来ともされる。
徳島市阿波おどりはお盆期間中の毎年8月12~15日に開催。江戸時代から約400年続くとされ、現在は人口約26万人の徳島市に全国から120万人超が訪れる。旅行会社による観覧ツアーなどが組まれ、今では世界的に認知されているビッグイベントになっている。
踊り手団体は「連」と呼ばれ、中でもメジャーは徳島市観光課が事務局の「阿波おどり振興協会」14連、徳島新聞社地域振興部が事務局の「徳島県阿波踊り協会」17連、「徳島県阿波おどり保存協会」9連が有名連として認知されている。