---------食品スーパーの事例---------
郊外にある食品スーパーは日々、クレーム対応に追われていた。
来店のたびに文句を言う男性客。夕方、店内が混雑してレジに行列ができると
「なにをノロノロやってるんだ!」
と、並んでいる間ずっと大声でレジ係を怒鳴りつけたり、レジを終えても,
「釣り銭の置き方が悪い!」
と言って、買い物かごや小銭を投げたりする。
また、「挨拶がなっていない!」と、近くにいる店員を叱り飛ばす中年の女性客や、自分の好物が見当たらないことに腹を立て、「どうして、この店に置いていないんだ! いますぐ仕入先に電話しろ!」と無茶苦茶な要求をする老人。あるいは、生鮮食品売場でレシピを聞かれた店員がうまく答えられないと、「責任者を呼んできなさい。あなたは不勉強です!」と激高する主婦もいる。
30代前半のチェッカーチーフは、こうしたクレームやトラブルが発生するたびに、店内をかけずり回った。いつのまにか、「申し訳ございません」が口ぐせになっていた。「ありがとうございました!」と笑顔で接客していた新人の頃を思い出すと、涙がこぼれそうになる。
そしてある日。チェッカーチーフは辞表を提出した。
店長からは強く慰留されたが、もはや限界だった。
張りつめていた緊張の糸が切れ、心が折れたのだ。
その後、このスーパーでは、くしの歯が欠けるように地元採用のパート店員が次々と辞めていった。精力的な仕事ぶりで部下からの信頼も厚かったチェッカーチーフに代わり、本社から派遣されたベテラン社員が立て直しを図ったが、パートを募集してもなかなか人が集まらない。地域密着型のスーパーでは、口コミで職場環境のよし悪しがすぐに伝わるからだ。
「あのスーパー、パートさんが大量退職したらしいよ」
「チーフはひとりで頑張っていたけれど、精神的なストレスでまいったみたい」
結局、このスーパーはチェッカーチーフをはじめとする退職者の穴を埋めることができず、閉店に追い込まれた。
このように、流通・サービス業に限らず、クレーム対応で陣頭指揮をとっていたキーパーソンが辞めると、ほかのメンバーも追随して退職することは珍しくありません。
それは、クレーム対応を「現場まかせ」「個人まかせ」にしている企業が多いからです。長時間労働の解消など、「働き方改革」を推進することは大切ですが、同時に企業としてクレーム対応のあり方を見直すことも必要です。クレームに向き合う人々の「声なき悲鳴」に気づけないと、経営そのものが大ダメージを受けるのです。
国がクレーム対策に乗り出す時代
冒頭で紹介したUAゼンセンは、悪質クレームが「働く魅力を阻害し、働き手不足を招く」「販売機会のロスや対応コストの負担により、賃金の源泉となる企業利益を損なう」として、事業者に対する措置義務の法制化を求めたり、悪質クレームの抑止・撲滅に向けた啓発活動を推進したりします。
こうしたなか、厚生労働省は、「職場のパワーハラスメント対策についての有識者検討会報告書」(2018年3月提示)において、はじめてクレームに言及しました。
「顧客や取引先からの著しい迷惑行為は職場のパワーハラスメントと類似性がある」として、「事業主に対応を求めるのみならず、周知・啓発を行うことで、社会全体で機運を醸成していくことが必要」「『カスタマーハラスメント』や『クレーマーハラスメント』など特定の名前やその内容を浸透させることが有効」などの意見が盛り込まれたのです。
そもそも、この検討会は「働き方改革」の一環として設置されたものです。そのなかで、顧客からの悪質クレームについて議論し、さらに「カスタマーハラスメント」などと命名することを提案したのは、画期的だと言えます。それほど、クレームが社会問題化しているのです。
ただ、法規制や制度、あるいは啓発活動だけで、目の前にある悪質クレームを排除することはできません。従業員のメンタルヘルスに悪影響を及ぼしたり、長時間労働につながったり、その結果、人材の流出を引き起こしたりする悪質クレームに対しては、一刻も早く実効性のある方策を打ち立てなければなりません。
つまり、クレーム担当者個人の「スキル」を磨くとともに、組織として「仕組み」をつくっていくことが重要なのです。
このことは、今回、私が『クレーム対応「完全撃退」マニュアル』を書いた大きな目的の1つなのです。