柴沼醤油醸造江戸時代から変わらぬ製法を守り抜くという伝統的なイメージとは裏腹に、世界40ヵ国に輸出するほど海外進出を進める柴沼醤油醸造とは?写真は同社の柴沼社長と醤油づくりの木桶

関東の3大醤油醸造で
1軒だけ生き残った老舗企業

 茨城県土浦市に本社を置く元禄元年(1688年)創業の老舗、柴沼醤油醸造(年商10億円、従業員数60名)は、杉の木桶を使った伝統的な製法を守り抜く一方で、世界40ヵ国に輸出し、海外売上高比率が15%に達するほど積極的な海外展開を進めている。

 18代目の柴沼秀篤(38歳)は、海外販売を推進するために、2017年7月に柴沼醤油インターナショナルを設立、年間で半年弱も世界を飛び回っている。

「先週はカンボジアでラーメン店を経営しているという日本人オーナーから電話があり、柴沼の醤油を使いたいと注文がありました。もともと、オーストラリアのシドニーでラーメン屋を経営していたときに柴沼醤油を使っていたそうです。カンボジアは初出荷だったので、いま輸出できるようにスキームをつくっています」と柴沼は語る。

 国内では木桶仕込みで醤油を醸造するメーカーはほとんど消え、伝統製法を用いながら調味料も含めて年間生産量200万トン規模を維持している柴沼醤油は、トップクラスである。

 そもそも土浦は野田、銚子と並ぶ関東の3大醤油醸造地だった。土浦醤油は「常陸(ひたち)もの」と呼ばれ、珍重された。醤油のことを「お下地(おしたじ)」と呼ぶのも「おひたち」が、なまったものと言われている。

 だが、明治以降、土浦の醤油業は急速に衰退し、19軒あった醤油蔵は廃業が相次ぎ、柴沼醤油だけが生き残った。

「創業330年を迎える中、江戸時代から木桶仕込みを守りながら、代々、様々な変革をやり続けてきました。時代に合った新しいことに取り組むのが当社のDNAであり、伝統は変革だと考えています。国内需要が減る中、我々の製法や歴史を認めてくれるマーケットを求めて海外進出に舵を切ったのも、変革の1つです」と柴沼は語る。