生活保護に支えられる
「車椅子の歌姫」とは
2018年9月8日、「車椅子の歌姫」として知られる歌手・エッセイストの朝霧裕(あさぎり・ゆう)さんは、「第10回彩の国ゆめコンサート(ゆめコン)」のステージで、最後の1曲『名前で呼んで』を歌い上げた(動画はこちら)。
「すべての人が『その人』として大切にされてほしい」という願いを込めた歌だ。会場を埋め尽くした約300人の観客は、朝霧さんと仲間たちに大きな拍手を注ぎ続け、朝霧さんたちは晴れやかな笑顔で応えた。「ゆめコン」は、この日が最終回だった。
朝霧さんは生まれつきの難病のため、全身の筋力が極めて弱い。筋肉の量も少ないため、136cmの身長に対して体重は30kgにも満たない。生まれてから一度も、自分の足で歩けたことはなく、現在も「車椅子からベッドに移動する」「入浴する」「トイレに行く」「置いてある本を手に取る」など、日常生活の動作の多くで介助を必要とする。また内蔵の筋力も弱いため、風邪のようなありふれた病気が、しばしば生命に関わる事態を引き起こす。したがって、24時間介助は必須だ。
生存と生活、そして様々な活動の基盤になっているのは生活保護だ。2001年、22歳だった朝霧さんは、さいたま市のアパートで1人暮らしを始めて以来、生活保護を利用し続けている。1人暮らしのきっかけは、生まれて以来ずっと自分を介護していた母親が、同居していた祖父母の介護も行う可能性が目前に迫り、危機感を覚えたことだった。いずれは、親自身の老後や親が亡くなった後のことも考えなくてはならない。
障害者が家を離れて地域での1人暮らしに踏み切ること、就労収入による自活が困難な場合に生活保護を生活の基盤とすることは、日本に障害者に対する所得保障が存在しない以上、極めて自然なことだ。
しかし生活保護の目的は、“健康で文化的な最低限度“までの生活の底上げと「自立の助長」だ。生活保護で暮らしながらコンサート活動を続ける朝霧さんに「それができるのに生活保護?」「まず”自立“しなきゃ」という視線や言葉を向ける人々は少なくない。
そもそも朝霧さんは、なぜ「ゆめコン」を始めようと思ったのだろうか?