織田信長のここが「やばい」!
「うつけ」を通りこして、イタい大人だった

 織田信長は名門・織田家の長男として生まれますが、きびしい父に反抗し、悪い仲間たちと遊んでばかりで「うつけ(=バカ)」とよばれる始末。

  無造作ヘアで、着物は半ぬげ、短い袴の腰にひょうたんをぶらさげ、もちや柿を立ち食いしながら、町中をだらだら歩いていました。まるで腰にチェーンをじゃらじゃらつけたヤンキーのような、わかりやすい不良っぷりです。

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 父親のお葬式でも、信長のスタンスはかわりません。うつけファッションで現れ、位牌にお香を投げつけました。でも、それを見た世話係のじいやが責任を感じて切腹してしまい、さすがの信長も反省してうつけを卒業したそうです。

 38才になった信長は、自分にはむかった延暦寺を焼き討ちにし、女性や子どもをふくめ何千人も殺害します。あまりの残虐さに、武田信玄が怒りの手紙を送りますが、信長は返事に「第六天魔王 信長」というイタいサインを書いて出します。

 第六天魔王とは仏教の敵の悪魔のことで、現代風にいいかえるなら「暗黒の破壊神 信長」とか「堕天使ルシファー 信長」といった感じでしょうか……。「わしは第六天魔王だから仏もこわくないし、反省するわけねーだろ!」という信長の意思がこめられていて、信玄はさぞ腹がたったことでしょう。

 まじめな明智光秀は、そんな信長にたえられず「本能寺の変」を起こしたのかもしれません。