「安売り」のツケは回りまわって自分たちに返ってくる
しかし、一見、低価格で買い求めることができているように見えて、実はその最終的なコストは回りまわって自分が払うことになる可能性が大きいことも知っておかなければならない。
例えば、先進国で何かを製造しようとすると、排水に厳しい環境規制がかかるため、汚水処理に大きなコストがかかる。そうすると、企業は水質汚染の規制が緩い途上国に生産拠点を移す。
そこで汚水を垂れ流せば、ずっと安く生産ができるため、最終的にはわれわれ先進国の消費者は「低価格」という恩恵にあずかることができる。
ところが、そんなことを続けていると、その途上国の環境悪化が進み、その国の経済が立ち行かなくなるかもしれない。結果的に先進国の責務としてODAなどの開発援助をしたり、環境汚染の回復のための援助をすることになる。
言うまでもなくODAは税金だ。つまり、われわれはがスーパーマーケットで1円でも安い安売り商品に群がることで、もしかすると別のところでその安売り分以上の負担を強いられている可能性が十分にあるということだ。
グローバル化とはそういうものだ。
グローバル化とは自分で自分の首を絞めるゲームである
私は書籍『食の終焉』の訳者解説でこう書いた。
「われわれはグローバル化という名の、日々自分で自分の首を締めていくゲームに知らない間に巻き込まれ、大勢の人を不幸にしながら、知らない間にそのゲームに夢中になっている。それが本書が浮き彫りにしている現在の世界の食システムの偽らざる姿なのだ。これを『誰も幸せにしないシステム』と呼ばずに、何と呼べばいいだろうか」
われながら暗澹たる気持ちになる一文だが、著者のポール・ロバーツも、私も将来への希望が一切ないとは言わない。誰も幸せにしないシステムに組み込まれながらも、幸せを追求し、未来への希望をもって生きていくことは可能だと思う。
その鍵は今回の連載で言い続けていること――知ること――にほかならない。われわれ消費者は知らないうちに食経済の最上段に祀り上げられて、食品産業の圧倒的な広告の力によってほとんど事実を知らされない状態に置かれてしまっている。要するに、裸の王様なのだ。