先ほども申し上げたように、労働者の生産性とは、つまるところ付加価値である。そこには、手先が器用だとか、マジメでキビキビ働くとか、下町ロケット的なチームワークを大切にするとかはあまり関係がない。

 では、日本人労働者は「高い付加価値」を生み出しているのかというと、大変申し上げにくいが、そうとは言い難い。

 その証こそが、「高品質・低価格」だ。

 原料などモノの値段やインフラのコストは、先進国の間そこまで大きな差はない。そんな大して変わらぬ条件の下で、なぜ日本では「高品質・低価格」を続けられたのかといえば、労働者の価値が低い、つまり「低賃金」ということに尽きる。

「低賃金労働者」というのは、経営者からすれば効率良く利益を上げられるありがたい存在だが、社会全体で見ると、労働者の付加価値を下げてしまう要因となる。つまり、どんなに効率良く働こうが、どんなに高品質なものを生み出そうが、「低賃金」で働かされている時点で、「日本の労働者は生産性が低い」ということになるのだ。

 なんてことを口走ると、「カネだけが付加価値じゃない!職人のプライドとか、おもてなしの心という生産性で測れないところを、日本の労働者は大切にしているんだ!」というような怒りの反論がビュンビュン飛んでくることだろう。

 もちろん、私も日本人なので、そういうものに価値を見出したい気持ちは痛いほどわかる。だが、一方で、こういう「ふわっとした話」によって労働者に罪悪感を植え付けていることが、パワハラやブラック企業という問題につながっている現実を忘れてはいけない。

組織やビジネスの問題を
個人の努力の問題にすり替える

 例えば、3年前のクリスマスに「過労自殺」をした電通女性社員のことを思い出していただきたい。彼女は連日のように長時間労働を強いられ、自宅に戻ってもシャワーを浴びてすぐ出社という生活を繰り返していたが、それでも上司から「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」という罵声を浴びせられていた。