そもそも胃ろうは、1970年代後半にアメリカで小児患者用に開発されたもので、当初から終末期が近い高齢の方を対象にしていたわけではありません。それがとくに日本では1980年代以降、患者さんの負担が少ない内視鏡で設営できることもあって、高齢の寝たきりの方の長期栄養経路として適用されるようになりました。

 患者さんの最期に接している立場から言わせてもらうと、口からご飯を食べられなくなったら、

●胃ろうで延命する
●手足から直接血管に針を入れる末梢点滴か皮下点滴で老衰による死を待つ
●何もしない

 この3つの選択肢から選ぶのがいいように思います。

 ところが、現実には鼻から管を入れられたり、中心静脈にカテーテルを挿入されたりする患者さんがけっこういるのです。
「胃ろう=悪」という説が広まってからは、実際に、「胃ろうはけっこうです」と言う患者さんやそのご家族が増えたのですが、それでいて「もっと長生きしてほしい」「長生きはしたい」という希望は捨てていないので、患者さんは鼻から管を入れられることになってしまうというわけです。

 何を隠そう、鼻から管を入れる経鼻経管栄養というのは、胃ろうが普及する前に多く採られていた方法です。
 ただ、この方法は患者さんの苦痛や家族の負担が大でした。
 ずっと管を入れているから呼吸もしづらいし、唾液が気管に流れ、誤嚥したりして肺炎を起こしやすくなるのです。
 鼻から管を入れられて抑制されるのは倫理的にもどうなのかという議論が起こり、それを受けて胃ろうが普及したといういきさつがあります。

 ところが今、胃ろうが“悪”のような言われ方をして、経鼻経管栄養が再浮上してきているのです。
 これがどういうことかというと、医療が10年前に逆戻りしてしまったということです。医療は今、来た道を戻っているのです。

 これって、どうなのでしょうか。
 もちろん、無条件に胃ろうに一票! というわけではありませんが、個人的には、とくに急性期の方には胃ろうが向いているように考えています。