「踏み出し」でつまずいても
「繋がり」に支えられた
鈴木 両立は大変だったのですが、私がマギーズの運営をしていることがだんだん周りに広がっていき、厚労省の方から「話を聞きたい」と興味を持ってもらえるようになったり、逆境の最中にある一般の人が取材に協力してくれるようになったり。相乗効果で仕事面でも助けられることが増えていきました。そうこうするうちに、自然と自分の病気のことも堂々と話せるようになって。がんを公表して堂々と活動できるようになるまでには、5〜6年はかかっりましたが。人の出会いの積み重ねで、急にある時、点と点が繋がる瞬間が訪れるものなんだなと。「繋がったなぁ」っていうことで言うと、村木さんとも、厚労省の審議会でご一緒して。
村木 そのご縁で、また今日お会いできて、嬉しいなぁと思っていますけど。本当に、人の縁って、繋がっていって、相乗効果をもたらすことがあるんだなぁって思います。だとすると、いろんな経験をやっておくのは悪くないなっていう気がしますけどね。
――鈴木さんは日本テレビで13年間、村木さん厚労省で37年半と、お二人とも組織でお仕事をされてきました。今は組織を超える形でも、活動の幅を広げてらっしゃいます。ご自身のキャリアや人生の中で大切にしている思いや価値観を教えていただければ。
村木 座右の銘ですとか、普段からいつも「こう生きよう」とか思っているものは何もないんですけど。ただ、省庁生活が始まった時に一番単純に思っていたのは、「自分で食べていきたい」っていうことだったんですね。もう40年くらい前なので、「女の子はいずれお嫁さんになって」みたいな感じもまだありましたから、「まず、自分で食べていく」っていうのはあったかなと思います。
厚労省で40年近く仕事をしてきた中で、「これが大事だったな」って思い至ったのは、「率直で正直でいること」。なんか、役所とか官僚とかって、変なことにいろいろ巻き込まれるんですね(笑)。で、そういう時にこう、グチャグチャになってくる中で、どうやっていれば一番自分がスッキリいられるかと考えた時に、まぁ率直で正直でいるっていうことが、人生をシンプルにしてくれるっていうのが見えてきた。結果的にこれが大事なことだなと後になって分かった感じですね。
鈴木 「率直で正直で」。本当にそれは大事だなと思うことがあって。会社を辞めるまでの最後の2年くらいは、キャスターを記者と兼務でやっていました。記者の週と、キャスターの週に分けて仕事をしていて、キャスターの週は『スッキリ』という番組と、『情報ライブミヤネ屋』という番組のニュースコーナを担当していました。毎週、十分間のコーナーを受け持って。『ミヤネ屋』では、トークコーナーが全部アドリブなんです。宮根誠司さんが、話題がなくなると私に突然、「最近、恋愛どう?」なんて聞いてきたりして。公共電波で、そんな、ねえ(笑)。