2016年の開業以来、利用者数が右肩下がりと苦戦してきた北海道新幹線だが、ゴールデンウイークの10連休は久々に好調だった。JR北海道の経営再建の切り札になるようなドル箱路線になる日は本当にくるのか?北海道新幹線の未来を占うために、戦後の本州〜北海道の鉄道vs航空機の歴史を振り返ってみよう。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
10連休の利用者は45%増!
北海道新幹線に久々のグッドニュース
空前絶後の10連休となった今年のゴールデンウイークは、普段より遠方に旅行する人が増えたようだ。特に北海道新幹線の4月26日から5月6日まで11日間の利用者数は、対前年同期比45%増の約12万人となり、これは開業ブームに沸いた2016年のゴールデンウイークを上回る盛況であった。
JR北海道が経営再建の切り札と位置付ける北海道新幹線であるが、昨年の胆振東部地震や台風の影響もあり、1日当たりの利用者数は開業した2016年度から右肩下がりと苦戦が続く。元々2030年度の札幌延伸開業までは赤字が見込まれており、しばらくは苦しい状況が続くとみられる。
まずは行楽シーズンや帰省シーズンの利用定着を狙っていきたいところだけに、年末年始(12月28日から1月6日までの10日間)の利用状況が前年比9%増を記録したことに続き、JR北海道にとっては明るいニュースとなったのではないだろうか。
北海道新幹線の未来を占うために、戦後の青函連絡船時代からの本州〜北海道の輸送を検証してみよう。
1988年3月、青函トンネルの開通によって本州と北海道は初めて陸路で結ばれた。それまでは東北本線青森駅(青森港)から函館本線函館駅(函館港)までの約113kmを、乗客と貨車をのせて連絡する国鉄直営の青函連絡船がその役割を担っていた。連絡船廃止時の主力であった「津軽丸型輸送船」は総トン数約8300トン。旅客約1200名と、東北本線の貨物列車1編成分にあたるワム(15トン積み有蓋車)48両を積載することができた。
青森と函館をトンネルで結ぶ構想は戦前から存在したようだが、本格的な検討に至るきっかけとなったのが、1954年9月26日に発生した青函連絡船「洞爺丸」の遭難事故であった。気象観測の未発達と判断ミスにより瞬間最大風速50メートルを超える台風に巻き込まれた洞爺丸と4隻の連絡貨物船は、暴風と高波によって相次いで沈没し、合計1430人の死者を出す大惨事となってしまった。
事故後すぐにトンネル建設に向けた本格的な調査が始まり、1961年に工事に着手。海底下の軟弱地盤や湧水に悩まされ、約9000億円の工費と27年の歳月を費やし、34名の殉職者を出しながらも、当時世界最長となる全長53.9キロの海底トンネルの完成に至ったのである。
青函トンネルの開通によって、青森~函館間の所要時間は青函連絡船時代の約4時間から約2時間へ半減し、北海道新幹線開業以降は1時間弱(新青森~新函館北斗)にまで短縮している。