日本人、その集団である日本企業は、このように批判されてきた。同質的、閉鎖的、横並び志向、村社会、会社人間、没個性、出る杭は打たれる――。
  他方、このように称賛されてきた。協調的、利他的、強い絆、結束力がある、チームワークを大切にする、帰属意識が高い、和をもって貴しとなす――。
  よくも悪くも、以上のような「集団主義的」な特徴こそ、日本人、日本企業の基本特性である。そう信じられてきたし、いまもそう考えられている。何しろ企業不祥事が起こると、アメリカ人は自分の利益のために不正を犯すが、日本人は組織のために不正を犯す、とすらいわれる。
  『「集団主義」という錯覚』(新曜社)を著した認知心理学者の高野陽太郎氏は、こうした「日本人イコール集団主義論」という定説を真っ向から否定する。高野氏は、日本人論(時には日本学ともいわれる)の著作や論文の「もっともらしさ」に疑いのメスを入れる。同時に、日本とアメリカの比較研究を知りうる限り検証し、日本人イコール集団主義論という定説は事実ではない、と結論する(その詳細については先の著作を一読されたい)。
  我々は、白か黒かの二元論を選好しやすく、原因をもっぱら内的要因に求めたり、自分の仮説を支持してくれそうな状況証拠を集めたり、ステレオタイプを鵜呑みにしたりといったバイアスに陥りやすい。高野氏によれば、日本人イコール集団主義論の原因は我々に巣食っている思考の癖や偏見にあり、多くの歴史が物語っているように、こうした偏った思考やステレオタイプは、時にはジェノサイドのような残虐な行為すら引き起こすという。
  日本企業の半数以上は、いまなお日本人が大半を占める同質性の高い組織かもしれない。しかし、製品や競争のグローバル化だけでなく、これからは経営や人材のグローバル化が求められている。その際、バイアスやステレオタイプの存在をわきまえ、その罠にはまることなく、公平無私のマネジメントを実践できるかどうか。
  以下のインタビューで語られる高野氏の知見に触れることで、誰もが持っている思考の悪癖を認識し、その弊害や危うさを理解できるはずである。

「日本人は集団主義的」
という錯覚

編集部(以下青文字):――日本人は、たとえば「個人よりも集団の利益を大切にする」「チームワークに長けている」と信じられてきました。しかし、こうした通説は必ずしも事実とは言いがたい、と述べられています。

東京大学 名誉教授
高野 陽太郎 
YOHTARO TAKANO
フルブライト奨学生としてアメリカに留学し、コーネル大学心理学部で博士号を取得。専門は、認知心理学、社会心理学。バージニア大学専任講師、早稲田大学専任講師、東京大学文学部助教授、東京大学人文社会系研究科教授を経て、現在、放送大学客員教授、明治大学サービス創新研究所客員研究員。主な著書に、『傾いた図形の謎』(東京大学出版会、1987年)、『鏡の中のミステリー』(岩波書店、1997年)、『「集団主義」という錯覚』(新曜社、2008年)、『認知心理学』(放送大学教育振興会、2013年)、『鏡映反転』(岩波書店、2015年)が、また共著に、『心理学研究法』(有斐閣、2004年)、Inter/Cultural Communication: Representation and Construction of Culture, SAGE Publications, 2013.、『認知心理学ハンドブック』(有斐閣、2013年)がある。

高野(以下略):「東洋の奇跡」と呼ばれた敗戦後の復興と急速な経済成長の秘密を明らかにしようと、1970年代をピークに、「日本人論」あるいは「日本文化論」といわれるジャンルの書籍が2000点近く出版されました。
 基本的に「日本人とは何者なのか」「日本人と欧米人との違いは何か」といった問いへの答えを求めて、さまざまな立場の人たちが論を展開していますが、そのほとんどが「日本人は集団主義的である」という主張です。そこから派生して、日本人は、たとえば「海外では群れる」「自我が確立していない」「個性に乏しい」「自己主張しない」など、否定的なラベルが貼られてきました。
 言うまでもありませんが、集団主義とは、自分の利益よりも、自分が所属する組織やグループの利益を優先するという考え方で、その逆が個人主義です。
 かつて「日本株式会社」といわれたことがありましたね。この言葉の背景には、あのような経済成長が実現したのは、政府と産業界が緊密な協調関係にあり、日本全体が一つの営利集団として行動したからである、という認識がありました。
 1970年代初頭、日米貿易摩擦が深刻化する中、日本には市場原理とは異なる原理が存在しているのではないかという批判的な観点から、アメリカ商務省が日本経済に関する調査を実施し、日本株式会社論はより決定的なものになっていきます。その後、80年代のジャパンバッシングへと発展します。
 しかし90年代になると、一転してアメリカに好況が訪れ、かたや日本は長い不況に陥ります。ところが、この時も日本の集団主義が元凶であるといわれました。そこには、日本の集団主義は自由主義経済に仇なすものであり、日本や日本企業に経済制裁を科すのは当然の行為であり、言わば正義なのだという考え方がありました。