見えない未来を
数値化して見せる
拡大画像表示
インターナルマーケティングのカギは、前述の“ストラクチャー型の人間”と“ケイオス型の人間”の接点を見つけることにある。どちらの思考タイプであっても、「何でもスーパーコンピュータのように考えなければ気が済まない」という極端なストラクチャー型は少ないし、「このコンセプトは雲である」などと突飛な感覚だけを打ち出してくるような過激なケイオス型も多くはない。とはいえ、社内の分布は図表4「ストラクチャー型とケイオス型の間は意思疎通が難しい」のようなダブルプロファイルを形成しており、二つの頂点同士でコミュニケーションギャップが起こるのである。
経営陣の大多数は間違いなくストラクチャー型である。ケイオス型がいくらアイデアの斬新さを訴えたところで、「結局のところ、それはどれくらい売れるのか」「いくら儲かるのか」という話になり、噛み合わないのは目に見えている。苦い経験をした人も多いだろう。つまるところ、経営者にとって不確実なものを排除することは至上命題なのである。
たとえば、ここに一つのシステムがあって、レバーを引けば確実に儲かる。同じレバーをもう一度引けば、また儲かる。そういった仕組みをつくり上げることを彼らは求めている。ビジネスにおいて再現性や信頼性や管理のしやすさを追求するのは、経営者としては大事な思想である。
そんな経営者に、不確実性の塊であるイノベーティブなアイデアをそのまま放り投げたところで、受け入れられるはずがない。「経営者は、不確実なものを意思決定するのが仕事だ」といわれ、それは理想的な姿ではある。しかし、多くの経営者はロジカルに意思決定することを鍛えられており、リスクが見えない状況での意思決定は苦手なのだ。
この段階で私たち企画者がやるべきなのは、経営者が不確実性の程度を少しでも把握しやすいよう「経営陣でも受け入れられるレベルの材料」を揃えることである。
拡大画像表示
そのために、経営陣が煙たがる“不確実性”について掘り下げて考えてみよう。不確実性と一口に言っても、レベルの差によって以下の四つに分けることができる(図表5)。
[四種の不確実性]
[1] 予見できる未来
[2] パターンごとに読める未来
[3] 方向性だけはわかる未来
[4] まったく何もわからない未来
このうち①と②は数値化できる。「①予見できる未来」と「②パターンごとに読める未来」はたいていの場合、確率を含めた数字やシナリオでロジカルに説明できる。それだけ経営陣も理解を示してくれる可能性が高いということだ。
連続的変化の中での不確実性はこの[1]と[2]に収まることが多いが、SHIFTやJUMPのようなイノベーションは非連続な変化の中で生まれ、ビジネスの不確実性をいっきに引き上げる。すなわちそれがイノベーティブであればあるほど、もたらされる不確実性は、通常は数値化できない「[3]方向性だけはわかる未来」や「[4]まったく何もわからない未来」のゾーンに入ることになる。
しかし[3]や[4]の場合、「つくってみなければわからない……」「売ってみなければわからない……」という状況からなかなか抜け出せない。開発者がそれらしい数値を示して、経営者の目をごまかそうとするケースをよく見かけるが、賢い経営者ほど、そんな小細工は通用しない。数字や論理の齟齬を指摘されて終わりである。
本連載で取り上げるのは、そんな場面で用いられる「β100」という手法である。不確実性を下げるために試行される、極めて現実に近い、購買意向調査である。単に「どんな機能がほしいですか」「いくらだったら買いますか」とインタビューをしながら、顧客の志向や動向をリポートし、それに基づいて商品化を目指していく一般的な調査とはアプローチ方法がまったく異なる。コストをかけずに、リアルな状況をつくり上げ、説得力のある数字を得る。その結果によって不確実性が軽減され、初めて経営陣もリアリティをもって意思決定を行うことができる。
この「β100」は一例であり、本連載では、インターナルマーケティングにおける体系的な方法論についてさらに詳細に語っていく。
人間の認知を利用した
新しいマーケティング
イノベーション(I)、インターナルマーケティング(Mi)とともに、本連載の柱の一つである「エクスターナルマーケティング」(Me)についても簡単に解説しておこう。「エクスターナルマーケティング」とは、一般に“マーケティング”として理解される活動を指す。イノベーションを起こしマーケットで成功を収めるには、この分野においても従来とは異なる進化した方法論が必要である。
イノベーティブな商品やビジネスモデルは、消費者に“思いも寄らなかった体験”(まったく新しいコンシューマーエクスペリエンス)を提供する。これまで消費者が体験してきた一歩先、二歩先の話ではなく、まるきり異質の経験的価値を提供するため、ハードルはさらに上がる。
ゲーム理論や行動経済学の世界では、人間は不完全で非合理な意思決定をすると証明されてきたが、最新のマーケティング理論(エクスターナルマーケティング)に、そうした新しい知見を反映できる余地は多い。たとえば、「二つの異なるソースから少しずれた情報を聞くと勝手に補完してしまう」など、人間が物事を認知する非合理なプロセスに、新たなマーケティング手法のカギがあると考えられる。
人間の脳は合理的にできていない。人間は、別々の情報源から少しずつ異なる情報を入手すると、自分の頭の中で勝手に組み立ててしまう。しかも、みずからの頭の中で推測してでき上がった情報のパワーは、単に知らされた伝聞情報より印象が強い。日常でも思い当たる現象ではないだろうか。
こうした人間の、ある意味で非合理的な認識プロセスも、マーケティングの現場が理解して有効に活用できれば、従来とまったく異なるコミュニケーションが可能になる。
広告の原則としては、メディアが異なる場合も、同じ商品については同一メッセージを発することがいまだに守られている。“繰り返しの強さ”が刷り込みに有用だ、という理屈からである。つまり、「人間にどういう価値を与えるか」というプッシュ型のマーケティングだった。しかし今後は、「人間はどのように価値を認識しているのか」という地平に立った、新たなマーケティングが開発されうるだろう。
本連載では、エクスターナルマーケティングの領域においても、このような新しいセオリーとアプローチを紹介していく。
拡大画像表示
最後にあらためて連載の全体像をまとめておく(図表6)。
本連載のテーマはあくまでも、ビジネスにおけるイノベーションの起こし方だ。政治システムや公的機関におけるイノベーションは今回のスコープに入っていない。さらに、インターナルマーケティングが必要となる「経営をよく知る組織」を対象としている。最新のマーケティング理論や経営論を学ぶことに積極的で、優れた経営陣がいる組織においてこそ、今回紹介していく方法論が威力を発揮する。
しかも、それは従業員が六万人の大企業に限った話ではない。六〇人以上の規模の会社になれば、必ずイノベーティブなアイデアにブレーキをかける経営陣が存在し、ほぼ間違いなくインターナルマーケティングが必要となる。
そういった中小規模も含めた「イノベーション×経営をよく知る組織」をターゲットに、「イノベーション」(I)、「インターナルマーケティング」(Mi)、「エクスターナルマーケティング」(Me)という三つの要素ごとに、実践的な方法論を議論する。
連載の後半では、その三つの枠組みでは語り尽くせない、IとMiとMeの組み合わせ方、シフトに関わる「教育」「時間管理」「チームマネジメント」等についても体系的に紹介したい。読み続けてくれた読者の皆さんからの質問に答える回も、最後に加えたいと考えている。
具体的かつ実践的な手法を読者の皆さんと共有し、一つでも多くのSHIFTが起こされることが本連載の狙いである。