あなたは連合赤軍の事件を知っているか?

 5月13日、連合赤軍事件をテーマにしたシンポジウム『浅間山荘から40年 当事者が語る連合赤軍』に参加した。

 事件からは今年でちょうど40年。なぜこのような凄惨な事件が起きたのか、この事件によって社会の何が変わったのか、そして何を教訓にすべきなのか、そんなことをテーマにして、5時間という長丁場のディスカッションが行われた。

 ……とここまでを書いてから、連合赤軍や彼らが起こした事件についてこの連載の読者は、どの程度の情報を共有しているのだろうかと考える。もしもあなたが60代以上ならば、基本的には説明など必要ないだろう。それほどに大きく報道された事件だった。事件当時は中学生だった僕も含めて、50代はぎりぎりかな。でも事件当時に子どもだった40代以下には、簡単な説明は必要だ。ちなみに教えている大学のゼミで学生たちに「連合赤軍の事件は知っているか」と訊ねたら、「知っている」と答えた学生はほぼ7割くらいだった。3割は初めて耳にする事件だという。そのときは「君たちは好奇心がなさすぎる」と思わず言ってしまったけれど、それも当たり前なのかもしれないと後で考え直した。何しろ40年前だ。風化することは当たり前だ。特に(後述するけれど)連合赤軍の事件に対しては、オウムと同じように「忘れたい」とする力学も働いている。目をそむけたいのだ。ずっと直視を避け続けてきた。だからこそシンポジウムの意味がある。

 熱い政治の季節が終焉の時代を迎えようとしていた1971年から1972年にかけて、新左翼の赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)が合流して結成された連合赤軍は、多くの非合法活動を行った。革命の前段階として暴力闘争を肯定した彼らは、当時は過激派などと呼ばれていた。ちなみに赤軍派は革命左派との合流前にも、よど号ハイジャック事件やパレスチナ支援のためのテロ活動など、いくつかに分派しながら多くのテロや事件を起こしているし、革命左派は銃奪取のための交番襲撃事件などを起こしている。