「我見我欲」は真心を込めて拝むときには出てこない
みなさんは腹が立ったとき、どのように振る舞いますか?
以前、西原理恵子さんの「人のことを憎み始めたらヒマな証拠」という言葉を紹介しましたが、今回は立腹したときの対処法について考えてみます。
この掲示板の言葉は、曹洞宗大本山永平寺の74世佐藤泰舜(たいしゅん)禅師の言葉だそうです。鳳林寺の公式サイトには、以下のような解説がありました。
永平寺佐藤泰舜禅師さまは礼拜の功徳として、次のように教えられております。
手を合わせ無心に拝むとき、人は皆、
まず第一に無我謙遜の心になります。
第二に心が清らかに澄み切ってまいります。
第三には心が引き締まってまいります。
第四には心が広々としてまいります。
オレがオレがという我見我欲は真心を込めて拝む時には出てきません。腹が立ったら拝むが良い、恨みの心が起きたら拝むが良い。心が自然に落ち着いて我見我欲の角が取れるのでございます。
確かに怒っているときは、自分の心の中で「我見我欲」が極度に強くなっている状態になっています。そのようなときに拝むことによって、自分自身をよく見つめて冷静になることは重要であるといえるでしょう。
腹が立ったらどうするか?
禅宗の僧侶の方々の中でも、さまざまな対処法があるようです。先日、明石家さんまさんの師匠である故・笑福亭松之助師匠が書かれた本を読んでいましたら、内山興正(こうしょう)老師の腹が立ったときの対処法が書かれていました。
内山老師は、「床の間に棺桶を置いて、腹が立ったらその中へ入って死んだということにして世間をみてみなさい」と説かれました。私は目が覚める思いでした。
笑福亭松之助『草や木のように生きられたら』(ヨシモトブックス)
自分が死んで棺桶(かんおけ)の中から世界を見ていることを想像すると、広い視野で俯瞰的に物事が見えてきます。そうすると小さなことにこだわって怒っている自分の姿に気付くことができるのです。
実はこれと似たようなことをホリエモンこと堀江貴文さんもおっしゃっていました。堀江さんいわく、腹が立ったら、自分を批判してくる人間も自分も数十年後にはこの世界からいなくなっていることを想像するそうです。これはつまり、「諸行無常」という真理を再確認することによって、心の冷静さを取り戻す作業だといえるでしょう。
内山老師が師事していた澤木興道老師も以下の言葉を残されています。安泰寺(京都から兵庫に移転)に紫竹林参禅道場を開き、坐禅の指導に当たったことでも有名な方です。
この世界を、死んで眺めるということが大切である。棺桶の中から見物したら、この世界は面白い。
『禅に学ぶ人生の知恵 澤木興道名言集』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
みなさんも自分が死んで棺桶に入ったことを想像して、一度そこから世界を眺めてみてください。冷静になると同時に何か大切なものが見えてくるかもしれません。
今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。
全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)