五洋建設 清水琢三社長五洋建設 清水琢三社長 Photo by Yoshihisa Wada

バブル後の不況で業績が悪化したゼネコン業界では破綻や再編する会社が相次いだ。当時、経営企画に携わっていた五洋建設の清水琢三社長が企業体質の変化を振り返るとともに、2020年以降を見据えた経営を語った。(聞き手/ダイヤモンド編集部 松野友美)

>>(上)から読む

若い頃は何かあれば「独立」しようと思った
奈落の底に落ちてみたら「経営」に面白み

――準大手・中堅ゼネコンは不況期に苦しみました。当時、どのような経験をしましたか。

 2001年の10月に企画部長になって、その翌02年に金融庁が「金融再生プログラム」政策を公表しました(ダイヤモンド編集部注:04年度中に主要銀行で貸出残高に占めている不良債権比率を減らすことや、資産査定の厳格化などが実行された)。そういう中で、金融支援は受けていないですけれども、自力再生をするためにわれわれも不良資産の処理を迫られた。そのときにリストラをしました。

 その後に時価会計・減損会計の導入があり(ダイヤモンド編集部注:06年3月期から企業会計に「減損会計」が義務付けられ、隠れていた赤字が明らかになった)、07年、08年あたりは赤字の処理をせざるを得なかった。

 リーマンショックのときにも、残念ながら建築部門が大変苦しかったので人員削減をせざるを得ませんでした。

――構造や体質を転換しないといけなかった?

 振り返るとバブル期まで、ゼネコンは利益よりも受注売り上げ重視でした。仕事を取ることが営業の目的で、受注すればだいたい利益も出ていた。昔はそれでうまくいった。上場していたとしても、今のように機関投資家など外の目は厳しくなかったので、大きく利益を上げなくてもよかった。丼勘定だったわけです。

 そういう体質の中で企画部長として最初にやったのは、国内の土木、国内の建築、海外の部門ごとに業績管理を徹底すること。当時、建築は赤字だった。なぜかというと、黒字の工事はものすごい黒字だけど、「受注量を増やそう」と思って取った工事が赤字だったんです。

 01年度は会社全体としては100億円ぐらい営業利益が出ていたんですが、海外事業は、このときはプラスでも、その後マイナスが少し続いた。3部門そろって黒字になるっていうことは、過去にもなかなかなくて。06年度には国内の土木まで営業利益が急減した。業界の空気がいわゆる脱・談合にシフトしていく中で、ダンピング受注で低入札問題が起こり、本当に苦しくなっちゃった。それまでは土木の利益で何とかなっていたけれど、そうもいかなくなった。しかも建築の規模を拡大させたかったがために、意図的に取った工事で赤字が多かった。だから、そういう利益率を軽んじる経営はやめようと。

 黒字と赤字に分けて調べると、明らかに「この工事、取る意味があったのか」っていうのが分かる。でも、受注時の見積もりで「何パーセント以上利益がないなら仕事は取りません」という選別をすると本当に仕事が取れなくなります。実際、リーマンショックのときに、そういうことが起こった。仕事が減る中で、下請け業者も、資材会社も口を開けて工事を待っています。請負額が安くても、取ったらとにかくやってくれる。下請け業者のことを考えると、仕事を選別したくてもなかなかできなかった。

――そんな状況だと会社を辞めたいと思いませんでしたか。

 私、博士号も持っていて、若いときは技術の仕事をしていたんです。若いときは何かあれば、そっちの世界で独立して飯を食えばいいや、と思っていた。海の会社だから、ここでそれを生かして一番の技術を身に付けておこうって。厳しい時代が訪れて、初めて企画部に異動したのが96年だったんですけど、行ってみたら、急に奈落の底に落ちるように、受注が減っていくんですよ。

 私は経営っていうか、分析するのが大好きですし、物を考えるのが大好きだったので、「なんでこの会社はこんなにもうからないのか」とか、いろんなことをやっていると、人間模様も見えてきてですね、面白くなったんです。グラフとかを勝手に作って調べるわけですよ。

――協力会社などに食わせるためにダンピングしてでも仕事を取らなければならなかった。

 デフレスパイラルですから、赤字は、どんどん膨らんでいくんです。やっぱり、プラスの工事を取らなければいけない。だけど、ギリギリの工事を工夫して、生産性を上げたり、工事のやり方、設計を変えて、プラスにするっていう努力を建設会社がしなくなると、これはもうもうからない。もうからないっていうか、利益が出せない。

 甘い商売じゃない。競合他社も同じような立場で競争しているわけですから。何か自分たちの得意分野だとか、特別な工夫だとか、そういうことを提案できないと仕事が取れない。しっかり先を見越して組み立てる力っていうのが要る。ただ単に、単純に赤字をやめればよかった最初とは状況が違った。

 リーマンショックの頃からは、単純に赤字対策だけをやっても駄目で、工夫だとか、前もって工事を仕込んでいくことが必要になっていった。11年の東日本大震災以降は下請け業者を手配できる状況でないと、仕事が取れなくなった。今現在も人手不足ですから、どこも簡単にたやすく受けられなくなりました。