Photo by Masami Usui

建設業界は1990年代に建設投資が80兆円を超えたが、バブル崩壊で建設不況となり、2008年のリーマンショックでどん底に落ちた。10年には投資額が半減するも、11年の東日本大震災で復興特需が発生、12年には自民党が与党へ復権して公共事業が増えた。そこから業界は右肩上がりに回復し絶頂期を迎えているが、日本の最北の地、北海道のゼネコンはこの10年をどう生きたのか、これから先をどう生きるのか。地元経済界のリーダーである道内大手ゼネコン岩田地崎建設で次代を担う岩田幸治副社長に聞いた。(聞き手/ダイヤモンド編集部副編集長 臼井真粧美)

合併した直後にリーマンショック
道内は本当に苦しいものだった

――岩田地崎建設におけるこの10年、北海道の10年はどんなものでしたか。

 2007年に岩田建設と地崎工業が合併して岩田地崎建設になりました。北海道拓殖銀行の破綻をきっかけに、小が大をのむような形で合併しました。その直後です。合併してさあこれからというタイミングで08年、リーマンショックが起きました。

 合併初年度は非常に事業成績が好転したけれど、翌年に日本全体、世界全体が転落し、当社としてもつらい時期を過ごしました。北海道は特に、産業に建設業の占める割合が生産額でも就業者数も非常に大きいので、その時代の道内は本当に苦しいものだった。(道内では)道外や海外へ出ていくことが活発に言われたり、(同業で)廃業を考えるところもありました。

――合併で道内最大手となりましたが、救済的な判断で、岩田建設が積極的なM&A(企業の合併・買収)戦略を持っていたわけではないんですか。

 岩田建設からM&Aをしたいと最初に言ったわけではなく、状況的なものがまずありました。それぞれの得意分野、得意な技術を集めることができたという意味では前向きなものでした。

 もともと建築の方を得意とし、地場である北海道に根差してきた岩田建設。高い土木技術を持ち、北海道を基盤として全国各地、海外にも進出していた地崎工業。地域的、事業エリア的なものが判断材料の一つでした。

 公共と民間を合わせた建設投資額が底を打ってから、少し明るい兆しが見えてきたのが12年ごろ。日本全体として自民党の返り咲きと、東日本大震災後の復旧などが転機となりましたが、北海道では安倍政権下の公共投資の高まりと時を同じくして北海道新幹線が開業(16年)したことが大きかった。北海道は広域分散型の社会ですので、高速鉄道が整備されるのは非常に地域として大きなこと。沿線の自治体をはじめ、北海道経済全体が活性化するきっかけとして、明るいニュースでした。

 北海道の公共投資が上向いたり、ニセコを中心にインバウンドが活況で、観光客による消費が増え、外資からの投資も流入して好転、今に至ります。

――今のビジネス構成は?

 ここ2~3年平均で道内6割、道外4割ほどで、工事全体のうち民間が6~7割です。去年ぐらいから民間建築が割合を伸ばしてきている。インバウンド需要で建築案件が急増したり、道内建築が活況でそちらの仕事が増えているんです。札幌駅に新幹線が来るということで(30年ごろに北海道新幹線が延伸予定)、札幌市内もここ数年再開発が非常に増えた。マンション需要もオフィス需要も、ビジネスホテルを中心とした投資も増えています。