2020年の東京五輪・パラリンピック関連や首都圏を中心とした建設需要の高まりで潤う建設業界。準大手ゼネコンの熊谷組の櫻野泰則社長は、大手とすみ分ける戦略を語った。(聞き手/ダイヤモンド編集部 松野友美)
かつて業界は血みどろの争い
今はすみ分けが進む
――バブルで落ち込む前の熊谷組は売上高が1兆円を超える規模で、スーパーゼネコンに並ぶポジションでした。しかし、今は準大手規模です。スーパーゼネコンとの差は受注にどう影響しますか。
そもそも昔は、釣り堀が一つしかなくて、そこに20社、30社が糸を垂れていました。われわれのさおにはあまり餌が付いていなくて、なかなか釣れなかった。でもスーパーゼネコンのところには、たんまりとおいしそうな餌が付いていて、ボコボコ釣っていく。そうするともう、われわれは残った魚を巡って血みどろの争いになってしまった。
最近は、釣り堀の釣り場が二つになっています。スーパーゼネコンの釣り場はちゃんとあって、うち(準大手や中堅ゼネコンクラス)の釣り場もある。工事の規模では、例えば400億、500億円規模の事務所ビルとかになると、やはり太刀打ちはちょっとできない。常客の方がいて、施工実績を評価して、やはりスーパーゼネコンに頼む。そうすると、われわれは当然技術的には対応できると思っているんだけど、お客との関係で、ちょっとここは無駄な力を出してもしょうがないかなと。
小規模な事務所なり建物なりを誠実に、品質の高いものを低価格で納める。そうすると、そういう規模の案件に次からもお声が掛かります。やはりそのすみ分けというのがだんだんとできているんじゃないかなと思います。
利益的にも、初めてのお客で大型物件に取り組むとすると、かなりリスクが高い。何があるか分からないから。やはり経験に基づいた過去の実績があれば、リスクを回避する手だてが取れるので、利益も必然的に多くなってくる。
ただ、海外の実績は群を抜いています。2004年に台湾の超高層タワー「TAIPEI101」を竣工したんですが、500m超のビルを世界で施工した日本のゼネコンってたぶんうちだけじゃないかなと。この実績は何においても効いてきます。
日本の超高層施工実績だと、事務所ではなくホテルなどが多い。千葉県の幕張にある、旧幕張プリンスホテル(現アパホテル&リゾート東京ベイ幕張)とかね。地上49階建てです。
海外縮小によって
“人材育成輩出企業”へ
――今後、海外はどうやって伸ばしていきますか。
海外はバブルがはじけたときの痛手がかなり残っています。今のところ基本的な戦略は、50年近く手掛けてきた台湾市場は続けて、実績を維持していきたい。高級コンドミニアムや高級なマンションを中心とした建築で、年間150億円とか、もっと大きくして200億円くらいの受注を目指す。もちろん、お声が掛かれば事務所などの建築も受けたいですよ。
建築で言うとミャンマーとインドはお客に付いていきます。例えばインドは、大手自動車メーカーの仕事をずっともらっていて、そのメーカーはインド戦略に積極的なので、今後も市場はあるだろうとみています。
東南アジアでODA(政府開発援助)案件や、無償工事があれば、それはそれでチャレンジする。国にはこだわらないです。
土木は、本当に人がいなくなっちゃったものですから、生みの苦しみです。何か一つODAの案件を取りたい。500億~600億円の案件を最初から取るのはリスク大きい。だから100億円程度の規模のODA案件が出れば、そこにいきたいと考えています。今幾つか案件を掘り起こしているところです。
――土木で「人がいない」というのは?
海外は1990年代半ばごろから一斉に縮小して、リストラを進めたときに海外で働きたい社員がみんな辞めちゃったので……。だから変な話、フィリピンに日本のコンサルティング会社がありますが、うちの元社員がそこに9人いたりするんです。現地で「飯食おうか」なんて言うと、うちにいた連中ばかりが集まってくる。結果的に“人材育成輩出企業”になったというか……。元社員たちが東南アジアのインフラの整備に随分活躍しています。
――当時、何人ぐらい辞められたのですか。
海外部門には300人を超える人材がいました。で、今、海外部門で働いているのは50人くらい。将来のことを考えると、日本のマーケットだけではおぼつかないなと思っています。慎重に、身の丈に合った海外展開をやっていきます。
17年に住友林業と業務・資本提携を結びましたが、住友林業がかなり昔から事業活動をしている国で超高級高層コンドミニアム建設の事業主体になっているので、一緒にやらせてもらうことを考えています。タイのバンコクやインドネシアのジャカルタなどです。