だが、多くの場合、いじめは教師の目を盗んで行なわれる。現場の教師に話を聞くと、いじめを見抜くことの難しさを感じさせられることも確かだ。

「誰から見ても弱い子がいじめられている場合、他の生徒が『先生、○○君がいじめられている』と教えてくれることが多かった。だが、もともとはクラスで人気のあった子が何かのきっかけでいじめられたり、目立つグループの生徒たちが同じグループの1人を急にいじめ始めるというような場合、生徒たちは教師に告げない。『もともとは強い子だから、すぐに終わるはず』『あの子にもプライドがあるから、先生に言うのは可哀想』という気持ちが働くのかもしれない」(中学校で勤務経験を持つ女性)

「教師が『いじめられているの?』と聞いても、いじめられている子どもが認めないことがある。周囲も『チクった』と思われるのを恐れて言わない。子どもが誰もいじめについて口にせず、いじめられている現場を実際に目にしていないのであれば、いじめている側を問い質すことはなかなか難しい」(小学校で勤務経験を持つ男性)

「中学校は、教科担任制で複数の教師がクラスを見ているのに加え、今は学校ごとにカウンセラーを配置するなど、配慮している。複数の大人の目があっても、見抜けないいじめがあるのが現状です。教師の怠慢と言われればそれまでですが……」(中学校で勤務経験を持つ男性)

「一生懸命働く=いじめを見抜く」は
現場の良識ある教師を苦しめる図式

 大津市立中学校の対応だけを見て、いじめを見抜けないのは教師の嘘であり怠慢であると決めつけるべきではない。「教師が一生懸命働くこと」=「いじめを見抜く」という図式を描くことは、現場の良識ある教師を苦しめることになる。

 前出の内藤氏もこう言う。

「たとえば、思春期の女子同士の間で起きるコミュニケーション操作系のいじめを中年の男性教師が気づけるのかといえば、なかなか気づけないだろう。教師たちは、できもしないことができると思われている」

 さらに内藤氏は、そもそものいじめの構造についてこう続ける。