いま日本でも大流行している動画アプリ「TikTok」。多くの日本人は若者向けのサービスと誤解していますが、その正体は、「世界で最も人気のあるアプリの1つ」であり、これから世界を席巻する「動画革命」、そして「インフルエンサー経済」の象徴ともいえる存在なのです。
そうしたTikTokの正体だけでなく、TikTokを生んだ未来国家・中国の今を詳細に解説した『TikTok 最強のSNSは中国から生まれる』が発売になります。中国を「未来国家」と呼ぶことに違和感を持つ方も、今回ご紹介する同書の「はじめに」をお読みいただければ、すぐに納得できるはずです。
中国社会を一変させた2つの革命
2018年、わたしはMBA留学のために勤務していた商社を休職し、中国の上海へ渡りました。中国籍ながら6歳から日本で育ってきたので、20年ぶりの長期帰国です。
上海に到着するやいなや、中国で進展していた2つの革命の洗礼を受けることになりました。
1つは、「キャッシュレス革命」です。近年は日本でもこの言葉が頻繁にニュースで飛び交うようになりましたが、すでに中国では2015年前後から、QRコードを利用したキャッシュレス化が猛烈なスピードで進展していたのです。
キャッシュレス化の度合いはおそらく多くの日本人の想像を超えており、ショッピングモールの店舗はもちろん、街中の屋台や露天商、ひいては弾き語りや物乞いの人までもがQRコード決済を導入しているほど。また、そもそも現金での支払いを受けつけておらず、スマホアプリでのみ注文が可能なサービスも多数普及し、キャッシュという存在が社会から消えつつあると言っても過言ではない状況です。
実際、上海のような都会では、お財布を持ち歩くことは皆無となり、スマホ1台あれば何不自由なく生きていけます。むしろ、現金をつかうときのほうがサインを求められる場合もあり(店内での不正防止のためです)、面倒なことも多い。そうした状況に、店側も顧客側も完全に慣れ親しんでいます。
わずか数年で、キャッシュレス化は中国社会に一気に浸透したのです。
まだまだ現金決済が中心の日本との差にとまどいましたが、このキャッシュレス化については、事前の情報もあったために、アプリの用意も心の準備もできていました。
しかし現地で初めて体験し、より衝撃的だったのが、「動画革命」です。上海では、街ゆく人々がスマホを持っているのはもちろん、あらゆる場所で、みんなが動画をみていたのです。
たとえば、電車の中。日本で電車に乗ってまわりをみてみれば、SNSをいじっているか、スマホゲームをやっているか、もしくはニュースアプリなどで記事を読んでいる人が大半ではないでしょうか。もちろんなかにはNetflixやYouTubeをみている人も若干いますが、中国では、実に半数以上がなにかしらの動画、しかも長くて数分の短尺動画をみているのです。
そして、街中の屋台。中国の田舎の街では、今も昔と変わらず屋台が庶民の食事を支えているのですが、店番のおじさんやおばさんが、自分が調理している風景をスマホでライブ配信していました。なにも揚げパンや串焼きをつくる腕前を自慢したいわけではなく、あくまでも単調な作業が暇なので、なんとなくというノリで配信もやっている様子。ライブ配信で誰かが反応をしてくれれば気も紛れるし、万が一でも、誰かが「投げ銭」(もちろんアプリ上の機能です)をしてくれればラッキー、といった程度で配信をしているのです。
わたしの体感ですが、中国で店番をする人は本当に99%の確率で、みんな暇つぶしにスマホで動画をみている。そして5~10人に1人程度はライブ配信をしている。驚異的な使用率です。
こうした様子に衝撃を受け、すぐにライブ配信アプリをいくつかダウンロードしてみました。すると、「屋台系配信」がしっかりジャンルとして成立していること、正確には「屋台系」だけでなく、多くの一般人が積極的に日常風景をライブ配信していることに気づきました。しかも、そうした日常をコンテンツとして配信しているのが若者だけではなく、老若男女すべての人であることに驚きを禁じ得ませんでした。
後にわかったのですが、これは特定の都市や地方だけの流行ではありませんでした。逆に、中国ではどこに行っても、みんながスマホを四六時中握りしめ、スマホ画面の中の動画をみている。そう、中国は完全に「動画の国」に変貌していました。
「キャッシュレス革命」と「動画革命」、いずれもスマホの普及があってのものですが、まだ日本ではスマホが普及した段階で止まっている状況といってよいでしょう。それが中国ではここまで進んでいる──そのことに、日本で育ってきたわたしは大きな衝撃を受けたのです。
「鎖国」が生み出したチャイナ・イノベーション
当時のわたしと同様、中国での技術革新と社会変革がこれほどまでに進んでいることを知って、驚かれた方もいるかもしれません。
そうした今の中国に驚く理由は、人によっておもに2種類あるようです。1つは、昔ながらの貧しい中国のイメージにひきずられているから。そしてもう1つが、中国のインターネット環境についてある程度詳しく、政府によって情報を統制するための情報管理システム(グレート・ファイアーウォール)が設けられていて、外国のサービスやコンテンツから遮断されていることを知っているから、です。
前者の認識は、すでに事実とは異なるといってよいと思います。中国の都市を一目みれば、すぐにとける誤解でしょう。しかし、後者は決して間違っているわけではありませんので、少し解説が必要になります。
わたしも以前は、「中国本土の人は可哀想だな。FacebookもTwitterも、YouTubeもInstagramも使えないなんて……」と考えていた節がありました。
ただ、実際に中国に渡ってみると、こうしたイメージが一気に覆りました。中国にも各種のSNSやエンタメサービスが多数存在しており、世界と比べても引けを取らない、いや、モノによっては日本人が日常的に使っているサービスすらも凌駕する、オリジナリティあふれるサービスが多く存在していました。
中国政府がインターネットを規制した主な目的が、情報を統制・検閲するためであったことは間違いありません。しかしそれは、GAFAをはじめとする当時の先進的なIT企業が、中国への本格的な進出を断念することにつながりました。その結果、中国国内では多くのスタートアップが生まれ、14億人という世界最大の市場を舞台に、独自のイノベーションを生み出すことになったのです。
そうした“チャイナ・イノベーション”の集大成であり、最前線に存在するのが、TikTok(ティックトック)──中国ではDouyin(ドゥーイン)と呼ばれるサービスです。
「革命以後」の中国にいることの重要性
ここで、あらためて自己紹介をさせてください。
わたし、黄未来(こう・みく)は、日本育ちの中国人です。1989年に中国の大都市の1つである西安市で生まれたのち、6歳の頃に両親に連れられて日本にやって来ました。その後数年ほど中国に帰国した期間はあったものの、基本的に小中高と大学、そして社会人と、20年以上の年月を日本で過ごしてきました。
三井物産では国際貿易と投資管理に従事し、中国に渡る直前の半年間はアフリカでの新規事業の立案に奔走。その後、上海に留学で戻ってきたというわけです。
この生い立ちとキャリアは、日本人はもちろん、他の同年代の中国人にもない宝物をわたしに与えてくれました。
それは、「日本で生まれ育つなかで、歴代のおもなSNSに余すことなく馴れ親しんできた」という経験です。国産サービスとして一時代を築いたmixi(ミクシィ)はもちろんのこと、中高生の間で人気を博した動画コミュニティアプリ、MixChannel(ミクチャ)にも触っていました。日本のサービスのみならず、当然FacebookやTwitter、Instagram、YouTube、あるいはSnapchatなどのSNSもすべてリアルタイムで使用し、各サービスならではの体験価値に触れてきました。
前述したように、中国では基本的に外国のネットサービス、特にSNSを使用することはできないので、これは中国人としてはかなり特異な経験です。
一方で日本では、まだTikTokが流行り始めたばかりで、TikTokが今後の日本に与える影響、そして動画がすべての産業を飲み込んでいく「動画革命」の足音に気付いている人は、まだ多くないようです。
わたしが『TikTok 最強のSNSは中国から生まれる』の執筆を決意したのは、こうした自身の立ち位置から、日本の皆さんに伝えられることが多いと感じたからでした。
日本と中国、両方のバックボーンがあり、同時に多くのSNSに触れてきた世代ならではの視点を持っている。そして商社での仕事を通じて得たビジネスの知見、世界中で出会った人々との交流がある。「世界広しといえども、この本はわたしにしか書けないはず」と自分に言い聞かせながら、いま伝えられる限りの情報や考察を余すことなく詰め込んだつもりです。
なお、読者のなかには「中国を主題に扱った本を、たった2年しか中国に滞在していない著者が書けるのか?」と疑問や不安を抱いた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、すでにお話ししたように、中国という国はここ数年という短期間で、その様相を劇的に変えています。
インターネットの登場を分水嶺として各国の社会や文化が大きく変容したように、スマートフォンの誕生とそれをインフラとした2つの革命によって、中国は「以前と以後」に明確に分かれたのです。
率直にいえば、「キャッシュレス革命」と「動画革命」以前に20年間中国に滞在した人よりも、以後に2年中国で暮らしている人間の意見のほうが、「今の中国社会を知る」という目的ならば有用だと確信しています。
もちろん、議論や主張を表層的な一過性のトレンド分析に終始させるつもりはありません。この連載では、TikTok(Douyin)の魅力をお伝えしながら、「いま中国で、世界で、何が起きているのか」「これから日本でなにが起ころうとしているのか」という問いへの答えを、できる限りわかりやすくお話ししていくつもりです。
念のため申し添えますと、この連載はTikTokの細かな機能や使い方の説明を目的としたものではありません。
もし、まだTikTokを触ったことがない、というのでしたら、ぜひスマホでTikTokをダウンロードしたうえで、触りながら読まれることをお薦めします。一度でも触れば、わたしが伝えようとするTikTokの魅力と、サービスとしての強さを直感的に理解できるはずです。