2019年のノーベル化学賞に、旭化成名誉フェローの吉野彰氏が選ばれた。企業に勤めるサラリーマンの受賞ということで、ひときわメディアで取り上げられた。
しかし「ノーベル賞サラリーマン」というステレオタイプで同氏を持ち上げているだけでは、誰のためにもならない。
思い出されるのが02年に吉野氏と同じくノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏だ。「ノーベル賞サラリーマン」の草分けだ。
田中氏は当時43歳で、勤務先の島津製作所ではまだ主任だった。そんな異色のノーベル賞受賞者を、メディアは連日連夜追い掛けて、「質素で、善人の代名詞」というイメージを求めた。この年のNHK紅白歌合戦の審査員として出演依頼されたが、田中氏は「私は芸能人ではありません」と辞退したそうだ。
そんな中で、一気に注目を浴びた田中氏に対して、学術界の一部からは「偶然、発見しただけだ」といった心ない声も上がった。田中氏本人は「自分は本当に何かを成し遂げたのか」という苦悩を後年語っている。
“起点”となった2人の偉人
ノーベル賞受賞はゴールではなく、スタートであるべきだ。田中氏が受賞した02年、東京大学名誉教授(当時)の小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞した。同氏は自身の研究の業績だけではなく、研究のスタートとしても特筆すべき業績を残したといえる。
小柴氏は「カミオカンデ」という巨大実験施設の建設の指揮を執り、見事実験に成功。宇宙の謎を解く鍵となるニュートリノを観測した。同氏は受賞後もさらに研究を進め、東大で指導した教え子、戸塚洋二氏と梶田隆章氏の両氏は、100億円以上の資金を集めて「スーパーカミオカンデ」を建設。師である小柴氏の業績をさらに超えて、「ニュートリノ振動」の発見に成功した。残念ながら戸塚氏は夭折したが、梶田氏は15年にノーベル物理学賞を受賞。小柴氏は、この2人がノーベル賞級の仕事を成し遂げると見抜いていたのだ。
前述の田中氏も受賞後の苦悩を経て、「血液1滴から病気を早期発見できるようにすること」を新たなテーマに研究を始めた。当初、研究は遅々として進まなかったというが、09年が転機となった。国から35億円の研究資金を得ることができ、外部の若手研究者を40人近く自社に招き入れることができたのだ。基礎研究を加速した結果、18年に血液検査でアルツハイマー病の早期発見が可能になる画期的な研究成果を発表した。
偉業を成し遂げた研究者・技術者の目線は高い。小柴氏の研究は梶田氏や戸塚氏の飛躍のきっかけとなり、田中氏は若手科学者たちのロールモデルとなっただろう。次世代につながる“起点”となったわけだ。今回受賞した吉野氏も携帯電話をはじめとするあらゆる電子機器の小型化に貢献し、その業績は次世代につながっていくことだろう。
ただ、研究のスタートとしてより機能していくためには、最高の環境と条件が必要だ。つまり資金提供の仕組みを工夫するべきだ。