お金の本質は
記号、そしてデータである

スマホ決済の様子
現金信仰の根強い日本では、キャッシュレス決済の浸透率はまだまだ低い Photo:PIXTA

 消費税増税後に中小の商店において、QRコードを使ったスマホ決済の導入がかなり進んできているようである。キャッシュレス決済で還元されるため、これまでクレジットカード等は使えなかった小さなお店でも、スマホ決済には対応するようになってきている。まるでスマホ決済が広がった頃の中国をほうふつとさせる光景が、全国で見られているようだ。

 ただ、世界的に見ると日本のキャッシュレス決済は、まだまだのようだ。2018年2月に野村総合研究所が調べたデータによれば、2016年時点での各国のキャッシュレス化比率は高いところで韓国の96.4%、イギリスの68.7%といったところ。多くの国では50%前後となっているが、日本の場合は19.8%と、先進国の中でもまだ低い方のようである。この理由は一体どうしてなのだろう?日本人は現金信仰が強いという意見もあるし、「若者はともかく、高齢者はそういうものは使わないだろう」という声もある。

 そもそもなぜ現金に対する志向が強いのだろうか?本来のお金の本質という面で考えてみると、その理由がよくわかる。お金の本質とは一体何か?それは「記号であり、データである」ことと、「それが信用で成り立っている」ということなのである。まずはお金が「記号であり、データである」ということから考えてみよう。

 そもそも人類が誕生してから長い間、お金というものはなかった。原始社会においては、自分や一族が食べるために狩猟、採集そして栽培する自給自足の暮らしをしていた。ところが生活範囲が広がり、他の一族や部族と共存するようになると、余剰な生産物をお互いに交換して自分たちが持っていない物を手に入れるという、物々交換が始まった。

 つまり「品物」という価値を持ったもの同士の交換だ。ところがそうした限られた地域だけの物々交換では、必ずしも欲しい物が手に入らないことがある。当然、交易の範囲は広がっていくことになり、実際に物同士を交換するだけでは、不便な場合が生じてくる。そこで考えられたのが通貨=お金なのだ。つまり、通貨=お金というのは、物やサービスという「価値」を交換するために考え出された手段なのである。要はお金自体に価値があるのではなく、交換手段だから価値があるのだ。

 原始時代のお金でイメージするのは石貨である。石器時代の漫画などで登場する、石の輪を転がしていくやつだ。ただ、ヤップ島などで見られる石貨は二千数百年前ぐらいにできたものといわれているので、本当に石器時代に石貨が流通していたわけではないだろう。

 実際には、貨幣の歴史を調べてみると貝殻や金属、紙などが使われて、さまざまなものが作られてきたことがわかる。いずれにも共通することは、時代と共に貨幣の素材が変化してきているということである。要するに貨幣自体に価値があるわけではないので、どんな素材で作っても構わないのだ。最近のようにIT技術が発展してくると、電子マネーやQRコード決済などができるようになってきたわけである。

 1万円札や1000円札自体に価値があるかのように思うのは錯覚である。お金自体は記号であり、単なるデータなのだから、それが紙であろうが電子データであろうが、何ら変わりはないのである。したがって、論理的に考えれば現金紙幣をありがたがり、特別な感情を持つ必要はないのだが、長年使い慣れてきたものだから愛着があるというだけのことだろう。