前回に続き、1964年7月10日号掲載の「“2代目3人男”の哀歓」という記事を紹介する。東武鉄道、東急電鉄、西武鉄道という関東の大手私鉄グループの2代目である、根津嘉一郎(2代目)、五島昇、堤清二の3人が一堂に会した異色の座談会である。
「上」では根津と堤の掛け合いが中心だったが、「下」は根津が所用で先に退席した後、遅れて五島が到着したところから始まる。
ちょうどこの記事が出る1カ月前、根津の東武百貨店は、五島の東急グループから東横デパート池袋店を買収し、地元池袋で堤の西武百貨店との“直接対決”へ体制を固めたばかりだった。
一方で西武は、東急の牙城である渋谷への出店を計画中だった。迎え撃つ五島は、渋谷の活性化のためになるとして西武の進出を歓迎している。実際、68年の西武渋谷店の開店セレモニーには、五島も出席して話題を呼んだ。
座談会では、そうした百貨店戦争の裏話や、先代たちが繰り広げた箱根での観光開発争い、通称「箱根山戦争」の話題などと共に、五島が2代目経営者3人に共通する問題として「オヤジと一緒に殉死していた方がよかった人間が、後まで残っていることだ」と指摘している。
先代に仕えた“大番頭”たちの扱いにくさについて率直に吐露したものだが、「会社が若返って伸びていくときには、ずいぶん障害になることがある」と、開けっ広げに語っているのが面白い。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
池袋・渋谷のデパート合戦は
東武と西武、お互いのプラス
五島 今後、池袋の東口(西武)と、西口(東武)と、どっちが客を引くようになるか、これから競争だね。
堤 いま西武のことで突っ込まれて、困っていたところで……。
五島 東武百貨店を根津さんは一生懸命やるつもりなんだが、スタッフがいるのかな。浅草の松屋調べではうまくないからね。今度の仕事は根津さんが、戦争後初めて自分で手掛けられた大仕事だから……。根津さんとしては、勝負どころだと思う。
──加藤武男さんがお元気だった頃からの話だそうで……。
五島 だからもう2~3年ぐらい前からですよ。
堤 根津さんがじっと基礎を固めて、自分のペースでいかれたことを、大いに褒めていたところですが、昇さんの場合は、いまが自分のペースですか。
五島 ここ2~3年じゃあないかな。いつまでもこのペース一本ではいかんと思うが。
堤 私のところは少し切るものは切るということが、必要だろうと思います。
五島 交通事業をやっているところは、長期の莫大な投資をやるから、景気が少し良かろうと悪かろうと、急にテンポを変えることができないのだ。ほかの事業は鉄道ペースでやったら大変なことになるね。